愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

検査結果が出る前日、正直少し眠れなかった。

「肉腫かも知れないから」

と4月に言われて「国立」とか「研究」とか堅苦しい名前の病院に紹介となった時はやや濃いめの絶望があったし、その可能性について考える事はこの先の生き方について考える事と同じだった。

この数ヶ月は検査ばかりしていた。彼氏には「病院のスタンプラリーやな」と言われ、全然面白くなくてデリカシーの無い冗談に腹を立てたりした。検査も内容によってはかなり高額なので、限度額適用認定証を申請した。それにしても限度額以上には自己負担がかからないなんて日本の健康保険って超優秀。国民皆保険制度って素晴らしいよ。ありがとう。医療費削減のためにジェネリック医薬品推進します。無駄な医療費は減らし、優れた保険制度を維持していきましょう。

結局診断が出るまでは何度かの採血採尿に加え、心電図もCTもMRIもPETもシンチも生検も尿道カメラもやった。これが彼氏の言うスタンプラリーなら豪華な景品が貰えても良さそうである。そして検査結果の出る日、診察室に入り医師から告げられた診断は「傍神経節腫」というものだった。副腎にできる褐色細胞腫という病気があるが、副腎外に発生するものを傍神経節腫と呼ぶのだそうだ。

「手術の予定が詰まっているので8月の頭くらいに手術しましょう。手術前に内服薬を開始してね。血圧を落ち着かせてから手術です。手術は開腹。おへその下から恥骨のあたりまで切るからね。」

と先生から説明があった。僕は腹腔鏡での手術が良かったのだが、腫瘍が発生している箇所が2つある事と、術中に出血があった場合の対処できるのは開腹とのことだった。僕はへその下からの恥骨部までの傷を想像した。傷跡はまあまあ残るだろう。水着を着る事なんてほとんど無いくせに水着になれないなぁと思った。 

「膀胱の傍に腫瘍があるからね、開腹しないとわからないけど場合によっては膀胱を切るかも知れません。または取る事になるかも。取る場合は腸を持ってきて膀胱を作ります。膀胱ガンの時によくやる処置なんだけど」

膀胱を取れば尿意がなくなるので定期的にトイレに行かないとならない。そして腹圧で排尿する事になる。僕はできるだけ膀胱を残してと先生にお願いした。

 

僕はようやく診断が出た事にほっとした。膀胱を取る、というのもあくまで可能性の話であろう。肉腫かも知れないと言われた時のように。僕は病院を出た後、通院している事をずっと隠していた母親に電話した。母は心配性で気分屋であるために、診断がきちんと出るまでは内緒にしていた。実はね、通院しててね、CTで腫瘍が見つかってね、血圧が高くて汗っかきなのはそのせいだったみたいでね、今度開腹で手術だよ、と電話した。開腹で手術のところで母は

「あらやだ、水着になれないじゃない。なんちゃって」

と言っていて、先ほどの僕の感想と同じだった。僕は母と、どうしようもう海に行けないねなどと話した。数百kmの距離を隔てて交わされる下らない会話。外はよく晴れていて、足早に歩く人が何人も僕の横を通り過ぎていった。

友人の事を書くのは難しい

先日学生サークルの同窓会があった。そのサークルはLGBTの学生が集まるインカレサークル。僕が大学生の頃に参加していたものだ。

久しぶりに会う友人は恋人と同棲していたり、別れたり、結婚したり、遠くで暮らしていたり、そんな環境の変化はあっても基本的には変わらなかった。

乾杯をしてそれぞれの近況を報告し合っているうちにコースの料理が次々と運ばれる。そしてテーブルの上はほとんど手のつけていないお皿でいっぱいになった。初めのうちは皆近くの席の人と話していたが、しばらくすると自然と席替えになった。

「久しぶり、最近何しているの?」

僕は友人の1人に聞いてみる。彼女は化粧品関連の仕事をしていたから、それを続けているだろうなと思っていた。

「私、今お笑いの学校に通ってるの」

意外だった。意外だけど、なんだか彼女らしいとも思えた。

「私、仕事辞めて学校通ってるの。バイトもしてるけどね。やりたい事全部やってやろうと思ってるの。ちまちま石鹸売ってる場合じゃ無いわ」

ちまちま働いている僕には刺さる言葉だった。

 

彼女は数年前に性別適合手術をした。そのせいなのか、単に年齢を重ねたからなのか、雰囲気が丸くなったように感じた。

彼女に初めて会ったのはその学生サークルでだった。僕は初め彼女の事を、なんだか異様に元気で骨太なビアンだと思った。背が高く、声が大きく、「キャメロンディアスに似ている」と自称していて、ちょっとヤバい人なのかなと思った。サークルには当時ゲイ、ビアン、バイの人がいて、彼女のようなトランスの人は珍しかった。と言うより、当時はあまりトランスという呼称は使われていなかった(僕が知らなかっただけかも知れない)ように思う。LGBTなんて言葉は無かったし、セクシャルマイノリティという括りだった。

彼女は個性的で目立つ格好をしていた。一緒に新宿の駅まで歩く時やご飯を食べにいく時に、道ゆく人が彼女を見るのが分かった。「女装している人がいる」という好奇と奇異の入り混じった視線。彼女は女性であったが、それを何故か関係の無い人達が許さなかった。

 

10年以上前にレインボーパレードに参加した事がある。「仮装して渋谷を歩くイベント」という浅い認識で僕は友人と女装してパレードを歩いた。パレードの途中でセクシャルマイノリティの権利を主張するプラカードをいくつか見た。そんな中で彼女は「異性愛は美しい」と書いたプラカードを掲げていた。

「『ノンケ』ってストレートへの差別用語だと思うわ!本当に下品だと思う!」といつか彼女は言っていて、僕はノンケという言い方を止めた。

 

「誰も傷つけないお笑いをやる」と彼女は言う。にゃんこスターみたいだねと僕は言ったけど、彼女は聞いていなかった。

同窓会では5月に誕生日を迎えた人にケーキが用意されていた。5月生まれの彼女はみんなの前で今年の抱負を言った。

「今年は普通に生きます」

仕事を辞めてお笑いの学校に通うのは、もしかしたらあまり普通じゃないかも知れない。それに恐らく「普通」というものに苦しみ、「普通」と闘ってきた彼女が、自ら普通になると言ったのは意外だった。

彼女の言う普通についてそれからしばらく考えていた。僕は彼女ではないから結局は想像になってしまうけど、個人が何かに制限されないで生きていける事が、彼女にとっての普通なのかも知れない。闘う事でつまらない普通を退け、彼女は新しい普通を勝ち取ったのかも知れなかった。

プリンター

先日、検査のために1泊で入院してきた。膀胱のわき、骨盤の裏に見つかった腫瘍がどういったものかを生検するためだ。

検査前は絶食してくださいと検査の案内に書いてあったので朝食を抜き、指定された10時半に病院に行った。初めての入院 だった。

病棟の部屋に案内されるとテキパキした看護師さんがやってきて、簡単に今後の流れや入院中の注意などを説明された。テキパキ看護師は説明を終えると他の部屋に行ってしまい、他の若い看護師さんがやって来た。

「点滴をつなぐ準備をしますね」と、アルコール綿で僕の腕は消毒され、二の腕をゴムチューブのようなもので縛られる。

「親指を中に入れて手をグーにしてください」とか「グーパー繰り返してください」とか「ちょっと失礼します」とシッペの要領で腕を叩かれたりして、ちょうど良い血管が出て来たところで針を刺された。看護師さんの名札の裏にはドラえもんが書かれていて可愛かった。「ドラえもん可愛い」などと話しているうちに点滴のルートが僕の腕に完成した。点滴ってすごく入院らしいなと思った。

「検査は15時くらいを予定しているので昼ごはんは絶食ですね」

と看護師さんに言われ、僕は朝も食べていない事を伝えた。どうやら朝ごはんは食べて良かったようだった。検温したり血圧を測ったりする以外は暇なので空腹を抱えたまま眠った。隣の入院患者はお見舞いに何人も来ていて賑やかだった。

ゴロゴロしていたらカーテンが開いて先ほどのテキパキ看護師が現れた。眠っているうちに15時になったようで、そろそろ検査に行きましょうと移動用のベッドに移るように言われた。僕は手術室にベッドで移送される間も「ご飯はいつになったら食べられますか?」と口を開けばご飯の質問ばかりだった。飲水も制限されていたので喉もカラカラだった。すると処置が終わっても2時間は傷口を圧迫して安静にしないといけないため、食事はその後との事だった。

 

「ご飯は術後2時間後」と考えているうちに生検が始まった。リラックスさせるためにとアタラックスPが点滴されるが、初めての手術室にめちゃくちゃドキドキして血圧が上がった。そのために二の腕に巻かれた血圧計のカフは術中何度も強い力で僕の腕を締め上げたので、後日腕は内出血していた。

骨盤のあたりに麻酔が打たれ、「痛かったら言ってくださいね」というDrの言葉と同時に長い針のような物が刺される。この細い管を患部に到達させて組織を取るのだそうだ。針が進むと麻酔が効いているのに響くような痛みを感じた。「痛いです」と訴えると「どんな痛みですか」とドクターに聞かれた。

鍼灸で針がツボに入るとズンと響く事があるじゃないですか。あれの凄く強い感じです。かなり響いてます」

と僕はなるべく詳しく答えたがドクターは大して聞いていないのか鍼灸に行った事が無くてピンと来ないのか、もうすぐ腫瘍に届くから我慢してくれとの事だった。結局は我慢なのねと思った。

 

生検が終了し、先ほど言われた通り部屋のベッドで2時間安静。今日の夜ご飯は何かなと楽しみにしていると麻酔が切れてきたのか痛みがやってきた。我慢できなくは無いが、けっこう痛い。時折様子を見に来る看護師さんに「どうですか、大丈夫ですか」と聞かれるも、大丈夫ですと答えてしまう。ところで女子が言う「大丈夫」は全然大丈夫じゃない時である。僕はおじさんだし複雑かも知れないが内心を察して欲しい。結局は我慢という先ほどの学びもあり、痛み止めを点滴するか看護師さんに言ってもらったのに再び大丈夫ですと答えた。

看護師さんが行ってしまうと次に担当のDrがやって来た。

「明日ね、退院のまえに膀胱の検査をしましょう。朝診察室に寄ってもらえる?尿道にカメラを入れて膀胱の様子を検査するから」

さらっと恐ろしい事を告げてDrは去って行った。尿道にカメラ。ご存知の通りというか、あんな細くてデリケートな所にカメラとは?一体物理的に可能なのだろうか。明日も痛そうだ。結局待ちに待った夕ご飯は痛みが辛くて大量に残し、痛み止めの点滴をしてもらった。

 

痛み止めの点滴が効いたようで、翌朝には痛みはだいぶ楽になっていた。退院のための準備を済ませ、尿道カメラへの心の準備をした。

担当の先生に指示された検査室にはカーテンで仕切られたスペースがあり、カーテンの奥にはマッサージチェアのような物が置かれていた。看護師さんにズボンとパンツを脱いでマッサージチェアに腰掛けるように指示され、指示通りに座ると渡されたタオルを下半身にかけた。

「じゃあ始めますね」

とカーテンの向こうから先生の声が聞こえるとマッサージチェアはリクライニングして開脚し、90度回転してカーテンの向こうに露わな下半身を差し出す形となった。ちょうどひっくり返ったカエルのポーズとなり、麻酔の塗り薬をさっと塗られた後にカメラを挿れられた。少しの痛みとそれなりの恐怖があった。膀胱に生理食塩水を入れながら検査をするようで、尿意を感じたら言ってくださいと言われた。しばらくすると尿意を感じて来たので先生に伝えると、あとは膀胱の状態をカメラで撮って印刷して終了ですとの事だった。早くトイレに行きたいなと思っているとカーテンの向こうでプリンターのエラー音が聞こえてきた。紙切れなのかも知れなかった。先生が小声で「早く」と看護師に指示を飛ばしているのが聞こえた。尿意を我慢しようとすると尿道がカメラを締め付けて痛い。かと言って漏らすわけにもいかない。ジレンマだった。

検査が終わってトイレに駆け込む。検査で尿道に空気が入るのか、放尿の最後の方でブブブと音がした。尿道からオナラが出た!と衝撃を受けた。入院って大変だなと思った。

googleの力を使って

4月1日、午前半休をもらい泌尿器科に受診した。

先生は僕のCTの画像を見て「血尿はありますか」と関西のイントネーションで聞いてきた。僕が「無いです」と答えると先生は「そうだよねぇ」と頷いた。

「いや、膀胱ガンかとも思ったんだけど。だけど血尿も無いし年齢的にも可能性は低いですね」

と先生。僕は発せられた「ガン」という響きにいきなりショックを受けた。前から思っていたけどガンって名前は響きが強いから変えた方がいい。悪性腫瘍と言うのも「悪性」の響きが強い。非良性腫瘍みたいな感じで回りくどく言って欲しい。続けて先生が

「あなた、一人暮らし?結婚されてる?ご家族は?」

と聞くので、一人暮らしである事、親は岡山に住んでいる事を伝えた。すると先生は

「じゃあ治療は岡山でされます?」

と聞いてきた。僕は質問の意味が分からないながらも、嫌ですと即答した。

「いやね、まだ分からないけど治療するには少し長い入院が必要になりそうだからね。そうなった場合に、身の回りの世話が出来る人がいた方がいいと思うんです」

先生の話を聞いていて、なんだか大変な事になってきたと思った。僕は姉が近くに住んでいる事を伝えた。姉は僕と同様仕事に時間を割かない人だから、もしもの時に頼りに出来るだろう。

僕は大学の時から血圧が高く定期的に通院している。通院の初期にアドレナリンの数値が高い事が分かったが、甲状腺副甲状腺に異常は無かった事を先生に伝えた。先生は

「異所性のホルモン産生腫瘍かもしれないね」

と言い検査のスケジュールが組まれた。採血採尿、CT、MRI、シンチグラフィ。4月の3週目は週4で半休を取り通院した。快く休ませてくれた職場には感謝している。検査の費用は安くはなかったが、保険を使って人間ドックをしていると思うようにした。

検査の合間に診察があった。柔らかい関西弁を話すDrは検査データはまだ全て揃ってないが診断の見当をつけたようだった。最後の検査の結果で最終的な診断。僕も検査の内容と検査で使用する薬品からgoogleの力を使って見当をつけた。

4月の4週目の月曜、全ての検査結果が出揃って診断が付く日だった。病院はゴールデンウィーク前のためにかなりの混雑。診察は90分遅れとの事だった。僕は病院の外でコーヒーを飲んだりお菓子を食べて時間を潰した。いい天気で気持ちよかった。

ゆっくりコーヒーを飲んで病院に戻ったが、診察にはまだ時間がかかりそうだった。待合室の椅子はほとんど埋まり、受付の女性も皆忙しそうだった。それからしばらく待ってようやく診察に呼ばれた。僕は見当をつけていた診断名を言われると思っていたけれど、結果は診断がつかないというものだった。先生の見当も僕の見当も同じようだったが、それは最後の検査で陰性となり否定されたのだった。そしてこういった症例は少ないからと、さらに専門に診てもらえるからと、さらに大きな病院に紹介となった。先生からの症状についての説明は、可能性についての話ではあるが、怖いものだった。

僕はすっかり気分を落とし、これはいつもの事ではあるが、午後からの出勤がどうでもよくなった。どうでもいいと思いながら、気を紛らわすための出勤だった。

それから数日後病院から電話があった。朝の7時半に電話が鳴り、目覚ましかと思った僕は乾いた口のまま電話に出た。電話の内容は紹介先の病院に5月7日に行ってくださいというものだった。モヤモヤを抱えたまま大型連休を迎える事になってしまった。

元号が変わるからと言って何かが変わるわけでは無いけれど、なんとなく平成のうちに、病院が休みに入る前にある程度の見当をつけたいと思っていた。だけど令和に持ち越し。そしてこういう時の10連休は長すぎる。

なんだか通院記録みたいになってきた

病院からの帰り道は冷たい小雨が降っていた。傘を差すほどでもない雨。僕はフードを被って凌いだ。

自分の気持ちがすっかり落ちているのが分かった。きっと大丈夫と思いながらも、CT検査の結果が思わしく無かった時の事を考えると全ての事がどうでもよくなった。検査の段階のために明言を避けるDrの言葉は、僕の悪い想像が入り込むための余白が沢山あった。親よりも長生きするというのが僕の唯一とも言える目標であるのに、それが達成できない場合について考えてしまう。そうなると確定拠出年金など積み立てている場合ではない。老後のためには60歳までに○千万の貯蓄が必要なんて情報を元に節約している場合でもない。まるで老後のために現在を消費しているような感覚が常にあったけれど、老後が来ない可能性だって当然ある。

こんな時は美味しいものでも食べて元気を出そうと、うさぎやでどら焼きを買って帰ろうと思った。上野御徒町で降りるとメールが来ていた。それは転職エージェントからのメールで、希望していた4月から求人の選考に漏れたという知らせだった。条件の良い求人だったため残念だった。残念な知らせは続くものだなと思った。僕はどらやきを買うのを止め、家に帰った。どらやきで一時口の中が甘くなるからって一体何になるんだと、そんなつまらない気持ちになっていた。

家に帰って布団に潜り込む。冷えていた手が、足が、徐々に温まっていき眠気が訪れる。急に何もかも嫌になってしまった19歳の冬のように、目が覚めてしまう事が残念で仕方がなかった時のように、逃避の手段として眠った。

翌日堀ちえみがブログでガンを告白したとテレビで報道していた。普段だったら芸能人の闘病に興味を持たないのだけど、その日は違った。多分こういったニュースは病気を抱える人に向けられたものなのだと思う。同じ病気を持つ人は堀ちえみの闘病に何かしらの力を貰うかも知れない。病気について不安で情報が欲しい時にブログの情報も有難いからだ。

 

指定されたCT検査の日は前回の診察の日から1ヶ月以上も先だった。急を要していないから大丈夫なのだろうと、検査日までにはだいぶ心は落ち着いていた。検査前に先生の診察。状態も悪く無さそうだし、次の診察の予約は5月。CT撮影も念のためといった感じだし、このまま外来でのフォローになりそうだった。なんだ、大した事は無さそうじゃん。病気について調べるのは本当に不安な気持ちを煽る。僕はやや心配が過ぎたのかも知れない。あんなに暗い気持ちにならずに、どら焼きも3個くらい食べれば良かったのだ。ただ、これで病気を抱える人の気持ちに寄り添えるようになったと思う。もはや病気は他人事では無いからだ。これはコメディカルの端っこで働く僕にとって有意義な経験だったのではないだろうか。前向きな気持ちになったところで、さっさとCTを撮って帰ろうと思った。初めての造影剤は喉がカーッと熱くなって少し気持ち悪かった。

検査を終えて帰ろうと思ったら、技師さんに待合室で待っていてと言われた。くすんだ緑の椅子に座りしばらく待っていると、先ほどの技師さんにCTの画像について先生から話があるから診察室に戻って下さいと伝えられた。僕はエスカレーターを上って皮膚科に戻り、先生に画像を見せてもらった。すると左の腎臓と膀胱の間に何かがあるのだ。素人から見てもはっきりと分かる何かが。これは何ですかと僕が尋ね、通常では見られない所見です、と先生。その日は土曜だったので週明けに早速泌尿器科に受診となった。とても急な診察の予定を組まれ、その早さがまた不安な気持ちにさせた。週明けの月曜は4月1日。新たな元号が発表される日だった。平成の後半は倒産の後通院。さっさと平成が終わって欲しいと思った。

ブルー

皮膚科での生検を終え、処置後の感染予防として抗生物質が処方された。セファクロルが3日分。ブルーのカプセル。秋葉原の皮膚科で処方されていたトコフェロールも継続となった。

生検の翌日、僕の足に分厚く覆われたガーゼを剥がそうとしたら、テープの粘着力が思いの外強くて苦労した。ベリベリとテープは僕の体毛を巻き込んで剥がれ、現れた僕の足は黒い糸でジグザグと縫われていた。チョンチョンとふくらはぎから飛び出す黒い糸。それは患部から太い毛が生えているようにも見えた。

 

後日抜糸のため通院。そしてさらに後日に診察。(働きながら通院するのって本当に大変)再診だからか、あまり待たされずに診察に呼ばれた。初めに診てもらったDrは忙しいのか、若い女性のDrが僕の担当になったようだった。先生は僕の抜糸の跡を確認し、それでは検査の結果をお伝えしますと複写式の紙を取り出した。うつむく先生の白衣の肩にはローマ字で名前が刺繍されていて、それは診察室に掲げられた先生の苗字とは異なっていた。恐らく先生は最近結婚したのだろう。肌トラブルとは無縁そうな綺麗な先生だった。

先生は検査結果について皮膚の簡単な構造を書きながら説明し始めた。表皮、真皮、毛細血管、脂肪組織、動脈。高校の生物で習ったような皮膚の簡単な図。それに炎症の箇所について説明したのち、診断名を図の下に記入した。聞き慣れない名前だった。

炎症がどこに起きているのか、皮膚以外に炎症がないかどうか、さらに検査が必要なようだった。先生は今度CTを撮りましょうと言い、僕はCT検査に使用する造影剤のアレルギーについて説明を受けた。僕は少しの間だけ循環器病院で働いていた事があった(主任が同僚を殴っているのを見てすぐ辞めた)が、CTを受けるのは初めてだ。僕はメトホルミンは飲んでないし、花粉症も喘息もないからソルコーテフも必要無いだろう。検査の同意書を記入すると先生はCTの予約で確認する事があるのか、席を外した。

僕は先生が診察室からいなくなってから、先ほどの診断名を検索した。すると思ったよりややこしい事が書いてあった。病気の説明はいつだってややこしい事が書いてあるけれど、それにしてもややこしそうだった。車のハンドルを握るだけで事故の事を考える僕にとって、不安を煽るに十分なものだった。

しばらくして先生が戻り、僕は携帯をポケットに入れる。先生は複写式の紙の1枚目を剥がし、先ほどの図と診断名がブルーで描かれたものを僕に渡した。

僕は先生に尋ねる。きちんと検査をして、診断が得られたのが良かったのかどうか。だってこんなに不安な気持ちになるんだったら、知らないまま気楽に過ごせた方が良かったよねと思ってしまうから。しかし返ってきた先生の答えは至極真っ当なものだった。つまり検査を受けて良かったと。僕は物分かりの良い人のように振る舞ったけれど、心の中で反発していた。先生が綺麗で幸せそうだったから尚更に。

診察は30分くらい。大学病院の外来診察にしてはかなり長い。 次の診察の人を待たせて申し訳ない気持ちになりながら僕は診察室を出た。

ブルーで複写された診断名をもう一度調べる。やはりややこしそうである。治療のガイドラインや疾患の特徴、診断基準、ブログなどが出てきて真剣にそれに目を通した。見れば見るほど不安になるので携帯をしまうが、やはり気になってまた調べるというのを繰り返した。おそらく僕の場合はかなり軽度(症状が皮膚に限局しているなら軽度。他に炎症が無いかどうか確かめるためにCTを撮るようだった)と思われたが、それでも不安だった。

広い大学病院を見渡すと、当然の事ながら見渡す限り病人がいた。大なり小なり、病気で苦しむ人のなんて多い事だろう。気づけば僕は見知らぬ病人たちの心に寄り添い始めていた。

綺麗で大きな病院の外に出ると小雨が降っていた。僕は着古したパタゴニアのジャケットのフードをかぶった。

皮膚科に行った話

「立ち仕事は控えた方がいいかも知れないよ」

と皮膚科のDrは言った。僕はズボンの裾をたくし上げ、痛くも痒くもないけれど斑に赤くなる足を晒したまま、Drにそれは難しい事を伝えた。今まで立ち仕事しかやった事がなく、更に今は派遣。派遣先のルールに従う他ない。

「それなら座った時に足を上げて足を休ませて。とにかく検査だね。炎症の起きているところを切って生検するから。午後時間ある?」

午後は倒産した会社の裁判があったのだが諦めた。元社長の顔をしっかり見てきてやろうと思っていたのに。ドラマみたいに野次を飛ばして生卵を投げつけたいと思っていたが諦めた。午後一番で生検となり、なるべく通院回数が減るようにお願いしたら生検の前に採血が追加された。

秋葉原の皮膚科からの紹介で大きな病院の受診をしたが、大学病院はいつだって融通が利かずめちゃくちゃに待たされる。紹介状を持って9時に受付をし、診察に呼ばれたのは12時を回っていた。そして13時半に生検。それまでに食事と採血を済まさないとならない。採血をし、簡単な食事を済ませて指定された部屋に入ると、先ほどのDrに加えて十数人のDrがずらりと並んでいた。

先ほどのDrが若いDr達に何やら説明している。どうやら診察をしてくれたのは偉いDrだったようで、僕の病状説明と皮膚のどこを切るかを指示している。若いDrたちは髪を染める時に使うような使い捨ての薄いビニール手袋をはめて代わる代わる僕のふくらはぎを触ったり、写真を撮ったりした。

次に処置室に通されると簡単なカーテンで仕切られたスペースに置かれたベッドにうつ伏せに寝かされ、麻酔を打たれた。麻酔の効きを確認するために「これ痛いですか?」と聞いてくる。ツンツンと何かが触れる感覚。僕は痛くはなかったけど、鋭利な何かがふくらはぎに突き立てられている様を想像したら痛いような気がしてきた。「痛いです」と答えるとDrはおかしいなと言わんばかりの反応をし、結果麻酔が追加された。

冷たいものが触る感覚、生温かい血が流れる感覚、縫合の糸で皮膚が引っ張られる感覚。うつ伏せで状態が見えないからこそ想像が働き、そして想像で補塡されるのは取り除かれていたはずの痛みであった。手術も入院もした事の無い僕は、生検なんかで消耗してしまった。処置後僕のふくらはぎの3箇所は分厚いガーゼでギチギチに覆われた。まるで大怪我をしたかのようだった。