愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

散らかった部屋で待つ

マンションを買った。

引っ越しを繰り返し、初期費用の支払いに貯金残高を減らしていた僕だが、それもようやく落ち着くかも知れない。

 

ちょうど桜が咲く頃に母が東京に遊びに来た。

母とランチをしていたら「良さそうなマンションがあったから見に行きましょう」と言った。母は僕と同じくマンションが好きなのだ。遠く離れた田舎で暮らしていても、なぜか東京のマンションをインターネッツでチェックしている。

 

ランチを食べ終えて内見に向かうとハキハキとした若い営業さんがマンションの前に立っていた。

紫外線を避けるために帽子を目深に被りマスクをした怪しい母と、安価なユニクロに全身を包みキョロキョロと浮かれた僕。そんな金の無さそうで奇妙な親子にもグレーのスーツに身を包んだハキハキさんは、明るく親切に対応。

ハキハキさんは落ち着いていてるので30ちょい過ぎかと思っていたら、マンションのエレベーターで23歳と聞き、とても驚いた。

 

マンションの中を見せてもらったら想像よりも良くてテンションが上がった。

駅近だし、思ったよりも綺麗だし、管理も良さそうだし・・・。

いいねいいねと親と話し、冷やかしで見に行ったつもりが翌日に購入を決めた。

 

気になる点が無かったわけではない。天井に梁があって圧迫感があるとか、車の音がけっこう聞こえるとか。

だけど「買います」と宣言したら、急にその梁さえも愛おしくなり、車の音は消えた。

この部屋が自分のものになるんだという実感で気持ちが高揚し、危うく愛おしさのあまり壁紙に頰ずりするところだった。

 

3年ほど前に僕はマンションを探していた。だけど当時は値段の相場も分からなかったから、良い物件があってもそれが高いのか安いのかさえ分からず結局買う決断が出来なかった。(むしろ当時の方がマンションは今よりずっと安かった)

この物件いいかもと思っても、大きな買い物だからすぐに決断が出来なかった。

だけどその時に色々見ていたから今回はすぐに決められたと思う。

いつかマンションを買いたいと言う人は多いけれど、その「いつか」にすぐ買えるように、今のうちに色々見ておいても良いと思う。

 

それにしても営業担当のハキハキさんはこちらから電話をかけると

「ちょうど今わたしもお電話しようと思っていたところです」

などと、恋人同士の電話の始まりのような事を必ず言った。だからといってこちらが待っていても電話は来ないため、日毎に不信感が募った。

初期費用の計算が違っていたり、契約日が間違っていたり、引き渡しまで色々と大変で血圧の上がる場面が何度もあった。

ハキハキさんは「引っ越しが落ち着いた頃に挨拶に伺います」と言っていた。

多分来ないだろうと思っていて、案の定まだ来ていない。とにかくハキハキしていて感じが良い以外はダメなのだ。

 

引っ越しは落ち着き過ぎて、むしろ散らかり始めている。少し散らかった部屋に、今日もハキハキさんは来ない。

暗算が出来ない

最近引っ越しをした。2年の更新を待たずに部屋を出た。

引っ越しにかかる諸費用はかなりのもので、完全に引っ越し貧乏である。

 

6度ほど引っ越しを繰り返している僕は(うち1度は実家から出るためで、1度は会社都合だが)初めのうちは冗談で、すっかり引っ越し貧乏でねーなどと周りに言っていたが、そろそろ冗談ではなくなってきている。

引っ越しは敷金、礼金、仲介手数料、引っ越し代、鍵交換代、火災保険料、防虫加工代、保証会社加入料(必須)など、多くの名目で僕から金を取ろうとしてくる。

1回の引っ越しで数十万はかかるので数十万×回数を計算しようとしたが、急に簡単な暗算が出来なくなって止めた。

せっせとお弁当を作ったり、スーパーの日曜朝市に行ったり、ユニクロばかり着るような日々の節約より、引っ越しを控えるのが僕にとって最大の節約かもしれない。

 

友人から「引っ越しが趣味だね」と言われ、「そうそう、金のかかる趣味だよ」なんて言っていたが、もはや趣味を通り越して特技と言ってもいいのではないだろうか。

出会いのアプリをやっていたら、特技は引っ越しと書きたいところだ。

「突然のメッセージすみません。引っ越しが特技なんですね。珍しいプロフィールなので気になりました。よかったら今度飲みに行きませんか」なんてメッセージが来る事を希望する。

 

ところで引っ越しを繰り返して感じるのは、暮らす地域によって空気が変わる事である。

住んでいたのは神奈川、埼玉、東京の3県なので、電車でせいぜい1時間もあれば移動出来る範囲なのだが、すこしずつ異なった雰囲気を持っている。

同じようなスーパー、チェーン店、コンビニがあって、同じようなサイズ感の街でも、住んでいる人が違えば雰囲気も異なる。

 

例えば学生の時に間違って別のクラスに入った時に強烈な違和感を感じたように、同じ形の教室でも中の人間によって雰囲気は作られるのだと思う。

 

先日出て行った街は、正直あまり良いと思えなかった。

ただこれは相性の問題だと思う。住みたい街、住みやすい街、などと住宅情報誌などで謳われている街も、結局は当たり前かも知れないけど、自分との相性なのだ。

人気者が集うクラスが良いクラスかと言えば、必ずしもそうでは無いのだ。

 

僕が街を好きになれなかったのと同時に、恐らく街も僕を好きじゃなかったと思う。

まるで「街」が意思を持っているみたいだが、住んでいる人の集合体として「街」があるなら、当然街は意思を持っている。

 

引っ越したあと、退去の立会いをしに前の家に行ってきた。

家具を全て出した後の部屋はガランとしていて、それでもとても狭かった。

立会いに来た管理会社の人が「電気、ガス、水道、郵便の転送はしたか」と聞いてきた。

「(特技は引っ越しなので当然)しました」と答えて、鍵を3本返し、同意書に汚い字でサインをして部屋を出た。

軽石とシンカイくん

小学校の頃、実家のお風呂に軽石が置いてあった。

僕は初め、それが母の角化したかかとの皮膚を削るものと知らず、湯船に浮かべておもちゃにしていた。

小さい頃はかかとの皮膚が固くなる事なんて想像つかなかったし、それを削って柔らかくする理由も分からなかった。

正しい使い方を聞いてから僕は試しに自分の柔らかいかかとを軽石でこすってみたが、何も変わらず、すぐに止めてしまった。

 

小学校5年の時に好きな人がいた。

シンカイくんという人だ。

 

シンカイくんは、色が黒くて目の大きい人だった。少しだけ魚っぽい顔をしていて、名前がシンカイなのも魚を彷彿とさせた。

シンカイくんは、すごくイケメン、という感じではなかった。

ただハキハキとものを言い、弁が立って頭が良く、字も上手だった。

僕はテストで毎回シンカイくんに数点及ばず、初めて勉強で悔しいと思い、家で泣いた。

 

シンカイくんとは仲が良かったのに喧嘩もよくした。

皆がシンカイくんを下の名前で呼んでいるのに、僕だけ苗字で呼んでいた。

その方が「親密な2人」っぽくて良いと思っていたのだ。小学女子のような思考パターンだが、つまりとても好きだったのだ。

 

身長はシンカイくんの方が僕より少し高かった。

だが社会科見学の時に僕は自分の背がシンカイくんより高くなっているのに気づいた。

なんて事だろうか。好きな人は見上げていたいという、またも小学女子のような思考パターンによって僕は悩み、自分の成長期を呪った。

ちょっと猫背で立ってみても、膝を曲げて立ってみても、油断していると「自分よりも背の低いシンカイくん」に気づいてしまう。

 

僕はお風呂場にある軽石を手にとって、かかとをこすってみた。少しでも僕の身長が低くなればいいと思った。

だけど一生懸命こすっても、全く身長は縮まらなかった。

僕はあっという間にシンカイくんの身長を抜きさり、少し早めにきた成長期に泣いた。

 

あれから何年も経ち、Facebookでシンカイくんの結婚を知った。

Facebookはいつも知りたくもない情報ばかり教えてくれる。

立派に仕事をして、今はイギリスで暮らしているようだ。

「すごくイケメンではないけれど」と当時は思ったけれど、今は知的で誠実と表現すれば良いのか、非常に格好良い仕上がりになっていた。

 

僕のかかとの皮膚は毎日の立ち仕事で厚くなった。

今なら正しく軽石が使えるのに。湯船に浮かべたりもしないし、まして身長を縮めようともしない。

出来る事なら

夏に実家に行ったら「ブログ見てるよ」と両親に言われ、その後更新するのをためらっていた。

どうやら兄のツイッター経由で父は僕のブログを知ったようだ。

さすがに親に見られるのはちょっと恥ずかしい。兄弟ならなんとなくOKだ。2親等以上ならいいよって感じ。

 

それ以来ブログのアクセス解析を見ると、更新がほとんどされないにも関わらず毎日のように1件はアクセスがある。

恐らくこれは父からのアクセスだと思っている。毎朝早起きをしてラジオ体操を欠かさない、規則正しい生活を送っている父の日々のルーティンに、僕のブログ閲覧が加わったのに違いない。

このように確信に近いのは、父は兄のブログの熱心な読者でもあるからだ。

ブログの更新がそのまま親への近況報告にもなりそうである。

 

最近節税について調べていた。

20代はお金を使っても「また稼げばいっか!週に5日も働いてるんだし!」と楽観的で、お金の収支もあまり気にしていなかった。通帳記帳も年単位でしていなかったし。

今はさすがにもう少し気にするようにしている。老後に必要なお金は○千万とか言われているし。遠いと思われる老後も案外あっという間なのかも知れない。

仕事で関わるお年寄りは気持ちが若い人が多い。そしてそれは、それだけ時間の経過が実感よりも早いであろう事を教えてくれる。

 

勤めている会社はユルくてふんわり、女子のヘアスタイルのような社風なので、退職金なんてきっと当てにならない。そして会社自体がその時まで存続しているかも怪しい。

昇給はあまり望めないと思われるので、それで節税なのだ。

 

しかし税の控除は配偶者、扶養者がいる人に厚い。

とりあえず最初の職場で入っていた確定拠出年金を再開しようかと思っている。

 

というか出来る事なら誰かの扶養に入りたい。

保険証には保険者「本人」ではなく「家族」と書かれたいし、「被保険者」ではなく「被扶養者」と書かれた処方箋を頂きたい。

103万以下の年収で働きたいですね。

夏休み

お盆休みに実家に行ってきた。

 

実家に帰ると本当に暇である。

田舎では車が無いと駅に行くのでさえ困難なので、車の運転が得意じゃない僕は元々の出不精に拍車がかかる。

さらに掃除も洗濯も食事の準備もしなくていいので、結局2泊したうちのほとんどを飼っている老犬の側でゴロゴロと寝て過ごした。

つまり新幹線で往復3万以上かけて寝に行ったのだ。

 

ご飯食べる。寝る。オリンピック見る。ご飯食べながらオリンピック見る。寝ながらオリンピック見る。

以上をランダムに並べ替えたものが実家でのおおよその1日の流れだった。

 

他にやったことといえば、写真を見ることだった。

実家では写真を整理していたのか、重くてかさばるアルバムから写真だけを抜き出し、ダンボールにまとめていた。

ダンボールの中の写真は、時系列やイベントで整理されているわけでもなく、法則ゼロでバラバラと輪ゴムで束ねられ、なぜか所々スプーン印の砂糖の袋に小分けされていた。

 

適当に写真の束を取り出して見てみると、兄、姉、僕の赤ちゃんの頃の写真や、昔に住んでいた家で祖父母一緒に撮った写真、母の社員旅行、どこかでバーベキューに行った写真、犬の写真が出てきた。

北海道に行った時や、スキーに行ったときなど、どこかに出かけている写真もたくさん出てきた。

父はあまりアクティブな性格ではないし、母は仕事と子育てで疲れている印象だったのだが、思ったよりも僕の家族は色々なところに出かけていたのかも知れない。

 

ただ法則ゼロで束ねられているせいなのか、僕の記憶力の問題なのか、一体どこに行ったのか分からない写真がいっぱいあった。

後になってこんなに忘れているんじゃ、親も連れて行き甲斐がなかったと思う。

ただ、多分尾瀬であろう写真や、きっと伊豆であろう写真や、よく分からない広い公園の写真の中で、僕はまあまあ楽しそうに笑っている。

多分、どこだって良かったのだ。幼い頃は特に。どこに行ってもほとんど等しく楽しかった。

行く場所に大した意味は無かったのかも知れない。

パンについて

僕はパンが好きだ。

最近ではライフスタイル提案系な雑誌でもパンの特集が組まれていて、なんだかパンってお洒落になったなと思います。

 

5年前くらい前、狂ったように出会いのアプリをやっていた頃(その後も狂った状態だったが)、アプリで知り合った人に休日の過ごし方について聞かれたので

「自転車でパンを買いに行って公園で食べたりしてるよ。」

と答えたらものすごく引かれた事がある。

えっ、何それ、すごく寂しい、引くわー、早く帰りたい、といった感じである。

もしも今、同じシチュエーションで同じように答えたら、もう少しお洒落な印象を与えられたかも知れません。

 

ところで高いパン屋って結構多くないですか?オシャレ料でも発生しているんでしょうか。

雰囲気だけってお店も多いように思います。

社会人になって少しは自由に使えるお金が出来たとはいえ、親から倹約を骨の髄まで叩き込まれた僕としては、どうしても値段は気になるところです。

 

お店の名前を挙げると悪口になるので伏せますけど、例えば松陰神社前ブーランジェリー○ドウなんかは、美味しいっちゃ美味しいけどちょっと高い。高くて美味しくなかったら詐欺だよなーと思ってしまいます。

そうやってモヤモヤしながら食べたハニートスト280円は、僕の中でベストオブモヤモヤパンです。

 

・・・、結局悪口になってしまった。接客はとても良いです(フォロー)

 

僕のお勧めはベタですが、代々木上原のカタネベーカリーです。何を買っても美味しいのにお値段も抑えられていてとっても良いです。

買ったパンを代々木公園で食べたりすれば、それこそライフスタイル提案系な過ごし方も出来てお勧めです。

あとは西荻窪のそーせーじ、富士見ヶ丘のヨシダベーカリーもお勧め。

美味しくて気取ってなくて、尚かつお値頃なパン屋が好きです。

インドネシアの記憶

初めて海外旅行に行ったのは15歳のときだった。

 

高校の入学を控えた少し長い春休みに母と姉と。どういう流れでそうなったのか全く覚えてないのだが、バリ島に1週間というフリープランが多めのパッケージ旅行だったと思う。

ところで母も姉も、もちろん僕も、リゾートや海が特別好きというわけではない。

行かなかった父や兄でさえ、海を好む感じでは無い。今思い返してもなぜ旅慣れない僕の家族がバリ島を選んだのか、全くわからないのである。

 

デンパサール空港に着き、飛行機から降りた時の香辛料の香りはよく覚えている。日本のどこにいても嗅いだことのない匂いだった。

バリ島のホテルに着きチェックインをした後、僕は部屋にトロピカルな色合いの飲み物が置いてあるのに気づいた。

「ウェルカムドリンクだね」と母か姉が言ったと思う。ウェルカムドリンク!聞きなれない言葉の響きに僕は興奮した。移動の疲れも手伝って僕は一気にそれを飲み干し、そしてしばらくして激しく下痢をした。

ウェルカムと言いながらも下痢を負わせるトロピカルドリンク。彼らのやり方は早よ帰れという意味を込めてぶぶ漬けを勧める京都人とどこか似ているかも知れない。

 

とにかくその後3日くらいはホテルのトイレの壁が僕にとってのバリ島の景色だった。

下痢だけでなく高熱も出た。寝ている時に聞いたのは、スコールの雨の音とヤモリの鳴き声だった。そして時々、1階にあったプールからの日本人観光客の声が聞こえてきた。

 

僕たちの泊まっていたホテルには日本人のグループが他にも宿泊していた。僕の部屋の隣にはそのグループの何人かが泊まっていた。初日はかなり賑やかに声が聞こえていたのだが、日を追うごとにそのグループの声は聞こえなくなっていった。

ホラーのようにも聞こえるが、後にその事について母は

「隣の人たちも水に当たって体調崩したみたいよ。」

と言っていた。その時僕はその言葉を信じたのだけど、母は自分の憶測をあたかも事実かのように話す癖があるので、それが本当かどうかは分からない。

 

ようやく体調が戻ってきた頃、まだ観光が全くできていない僕を不憫に思ったのだろう。母はホテルが斡旋するオプショナルツアーに姉と僕を連れて行った。ツアー先のガイドは下痢でやつれた僕を労わってなのか、ものすごく優しかった。

バリ島の伝統的な踊りを見た翌日、今度は姉が体調を崩した。姉も初日に弟が下痢でダウンしたりで疲れていたのだろう。その日はキンタマーニ高原という所に行く予定だったのだが

「KINTAMA高原なんて行かない!」と姉は言い、結局母と2人で行く事になった。

ところで僕は高原の景色をほとんど覚えていない。それよりも姉があんなにも明瞭にKINTAMAと発音した事の方が衝撃だった。なにしろ僕はたったの15歳だったのだ。

 

水当たりを起こしてからはすっかり水に敏感になっていたため、日本に帰った時は水道水が飲めることのありがたさが身にしみた。

先日タイから帰ってきた時は日本の無味無臭な空港がつまらなく感じたが、当時はそれが清潔な香りのように感じられた。

僕は帰宅するなり水道の蛇口を勢いよくひねった。いかにも消毒されていますといったような塩素の匂いを心地よく感じながら、喉を鳴らして何度も飲んだ。