愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

35億ではなく

34歳になった。

 

誕生日の少し前に、同じ誕生日の友人と食事をした。

その友人とは誕生日祝いを兼ねて食事をするのが恒例になっていて、今年で6回目のようだった。

10回目まではやりたいねと言って、普段食べないような凝った料理を食べた。

料理にはカリフラワーのブランマンジェに大根を散らした…などと説明があった。

ガラスの中に泡が閉じ込められたようなグラスにシャンパンが注がれて「今日はお祝いだね」と言った。

「大人になって良かったね」と友人。彼はこれを毎回言うのだ。

 彼は僕の質問にきちんと答えてくれる。どんな年にしたいか、カリフラワーって普段買う?ドイツっていい国?などの質問に。

彼はそれらに適当に答えないし、だからと言って語りすぎる事もない。言葉の分量がちょうど良いのだ。ついでに言えば料理の量もちょうど良かった。

 

きっとこの人と一緒に歳を取っていくんだなと思える人が何人かいる。幸運な事だと思う。

段々と歳を取る事にポジティブな感想を持てなくなってきたけれど、その人たちと歳を取れるなら、ポジティブとまではいかないけれど、それも悪く無いかなって。仕方ないよねって。

笑っていいとも

彼とは新宿アルタ前で待ち合わせした。

アルタ前といえば「笑っていいとも」だ。変わった特技を持っていたり、芸能人に似ている人が朝9時半までに集合する所だ。

新宿には小田急線に30分ほど乗って辿り着いた。テレビの向こうの世界に近づける場所で彼と待ち合わせした。

当時の僕は新宿に行ったことがほとんど無く、指定されたアルタ前の場所は事前に調べて向かった。アルタ前の場所が分からないとは言わなかった。なんとなくバカにされるような気がして。

待ち合わせ場所に現れた彼の顔は、もうほとんど覚えていない。名前さえも覚えていない。マサとかカズとかマサカズとか、恐らくそんな名前だろう。覚えているのは彼が28歳で僕が20歳だったという事。

彼に会った感想は、28歳って思ったより老けてるな、だった。

彼とはケンタッキーでお茶をした。奢るという彼の申し出を、頑なに断ってお茶をした。貸しを作ったらいけないと思った。

新宿南口の工事中の道で彼は「けっこうタイプかも」と、僕への控えめな好意を伝えてくれた。僕はそれを聞いて笑ってしまった。驚きが強いと笑いになるのは新たな発見だった。僕は自分への発見を感じながら騒音の中で声を出して笑った。ちっとも笑っていいともでは無い状況で。僕は彼のちょっとした好意を茶化してしまった。

 

初めて付き合った人とは1ヶ月も経たないうちに別れた。彼は東高円寺に住んでいて、別れた後は辛くて丸ノ内線に乗れなくなった。丸ノ内線に乗り続けるために、積極的に彼を忘れるやり方を覚えた。

三角関係の後に仲良くなった人もいた。彼との関わりでは好きと言ったら壊れてしまう関係もあることを覚えた。お互いに都合の良い関係になるために、曖昧を良しとする事もあるようだった。

「え、それ間違っているよ」と思えるルールを振りかざす「こっちの世界」を語る人たちも沢山いた。こっちの世界じゃ当たり前だから、と。要するに危ういモラルに基づいた、自分の身勝手を許すためのルールだった。彼らは「こっちの世界」を連呼して、実際には少数に過ぎない自分達のルールをあたかも全体の常識のように語ってきた。そして不思議な事に、どのコミュニティにも彼らと似た人がいた。うんざりする程に彼らのルールを刷り込まれ、こっちの世界というものに「染まっていく」人が沢山いた。

ルールを語る彼らはマイノリティである前に弱者であった。私をゆるして、あいして、受け入れて。甘ったれた願いをまとって吐き出される彼らの言葉はルールと言うよりエクスキューズに近い。

 

少し疲れてきたのかも知れない。僕は恋愛において、半ば強引に気になる人の家に泊まりに行ったり、決定的な事は言わないままに相手の出方を待ったり、相手に委ねる手段ばかり覚えた。気づけば彼らの言う「こっちの世界でのルール」と大差ない事を結局僕もしていたのだった。そして、したいのかしたくないのか分からないセックスをし、湧いた情と愛とを容易に混同した。

何かに餓えていたのだと思う。金魚が酸素を求めて口を開くように。そして僕にとっての酸素は一体何だったのかは今も分からない。

 

 

30歳を過ぎてクラブのイベントに行った。大きなイベントだった。

僕は人が多い所と、うるさい所と、夜更かしが苦手だ。同様に人が多い所とうるさい所が苦手な友人と「疲れたらタクシーで帰ろうね」と誓い合い、行く前から帰る準備をする周到さで会場に向かった。

深夜になり、吐息のような熱気と湿度をまとった会場で昔の知り合いを見つけた。

彼はステージの上で小さな下着を履き、鍛えた体を見せつけるように踊って(?)いた。その姿は10年近く前の僕の記憶と、全くと言っていいほど異なっていた。

異なった姿で、しかも普段の自分の生活では縁のなさそうなタイプの姿で現れた彼に少し戸惑った。例えるならSNSでいつまでも「増量中!」と書いていそうな風貌だった。

ステージで晒される彼のしっとりと濡れた体や、小さな下着で辛うじて隠される膨らみは、ひどく性的であった。しかし僕に性的に訴えてくる事は無かった。

それは、いつか埼玉の家まで自転車で二人乗りした時の彼の背中や、文京シビックセンターの展望台で絡ませた彼の小指や、新越谷の公園で喉を鳴らしてビールを飲む時の彼の首筋の方がよほど性的だったからだ。

しかし目の前にいる彼に、好もしかったその特徴は見つからない。

ステージの上の彼はどこを見ているのか。視線の先には何があるのか。視線の先に目を移すが、暗くて何も見えない。もしかしたら何も見えていないのかも知れない。そうしているうちに、彼の目が垂れ目の所だけ僕の記憶と一致した。

きっと彼は僕の事を覚えていない。過去を捨てたかのような変貌を遂げた彼にとって、恐らく僕はそれこそ名前も思い出せない、マサだかカズだかマサカズなのだろうから。

すると記憶の中から彼の姿は消え、僕は1人取り残された。ペダルのきしむ自転車にも文京シビックセンターにも新越谷にも、彼はいない。共通の思い出をどちらか片方だけが持つなんて悲しい事だ。

 

 

後ろのスピーカーから大音量で音楽が流れていて、背中をビリビリと震わせた。目の前には消えたはずの彼がいる。

人が多くてうるさい所。

僕は友人とタクシーで帰った。

前職は電気工事士だと言うタクシーの運転手は夜の街を飛ばしてくれた。スピードが上がるほどに脳にこびり付いた「彼」への記憶が散っていくようで爽快だった。

宗教

高校の時、僕は勉強にも部活にも熱をあげず、当時好きだった人(中村獅童に少し似ていたからシドウとする)に情熱を注いでいた。

シドウは軽音楽部とサッカー部に所属していて、目立っていた。しかし性格は努力家で優しいという奇跡のようなありがたい存在。僕の話によく笑ってくれるところも良かった。

ある日一緒に多摩川でバーベキューをしていたら突然好きになってしまった。あれ、好きかも、と思った直後にはもう好きだった。多摩川のきらめき、電車が走り去る音、眩しいシドウ。途端にバーベキューがどうでも良くなり肉をいくつも焦がした。

 

シドウについての妄想を、授業中、休み時間などによくやった。

想像の中で何故かシドウはナイフを持った暴漢に購買部で襲われたり、屋上からスナイパーに狙われたりした。その度に僕は身を挺してシドウをかばい、命を落とした。ある時は背中にナイフを受け、銃弾を胸に受けた。

大抵の場合シドウは僕に駆け寄り「どうして」などと僕に身代わりになった理由を問うのだが、僕は愛を伝えようかどうか逡巡しながらも口を閉ざして絶命するという、映像化されたら即打ち切りになるような安い筋書きであった。

死んで愛を永遠にする、というのが僕の妄想のテーマであり、「ベルサイユのばら」のような劇的な最期を迎える事を好んだ。(書きながら高校生の自分が心配になってきた)

 

シドウが学校を休めば、僕は学校にいる意味を失い早退した。家に帰ってテレビを見たり、行き先の分からないバスに突発的に乗って暇を潰した。

シドウが何かを頑張れば、僕も心を熱くして努力をした。ただ元来努力が苦手な僕はシドウよりも努力が続かず、そんな自分を恥じた。

今思えば病的だけど、高校生なんて自意識の塊みたいなものだから、みんな何かしらの病だったのかも知れない。

 

妄想を重ねた結果、僕はシドウへの思いで心がパンクしそうになり、友人にシドウが好きな事を打ち明けた。

視聴覚室から教室へ戻る道すがら、話を聞いた友人はかなり驚いていた。僕はその驚きを見て、僕はもしかして世間からずれてるのかなと初めて思った。

男でありながら男であるシドウが好きという自覚はあった。男女の恋愛が一般的という認識もあった。ただ他の人と比べる事をしなかったためか、友人に打ち明けて初めてその点について自分を客観し、人とは違うんだと思った。

 

一般的でない好意について、シドウはどう感じるだろうか。僕はその問いについて考えるべく、妄想を変えていった。

シドウは暴漢に襲われなくなったし、僕も身代わりとなって絶命しなくなった。

その代わり僕の気持ちを知って嫌悪を感じ、拒絶するシドウを想像し始めた。

日々妄想に取り組んでいた僕にとって拒絶のパターンを考える作業は難なく進み、やがて自分の想像によって僕は心をすり減らした。

 

卒業式を終えて、僕はシドウに気持ちを伝えようとメールをした。直接、誰にも聞かれない場所で言わないといけないと思った。

シドウの家は引っ越したばかりだった。2階の部屋に向かう途中で僕は「新築の匂いだね。塗料の匂いがする。」とかなんとか言いながら階段を上った。どうでもいい事を敢えて言うほどに、実は怯えていたのだ。

シドウには何度かの深呼吸の後に好きだと伝えた。シドウは分かったと言った。受け止めたから、とも言った。好意が一般的でない事については「少数派がダメなわけじゃ無いよ」と言った。

僕はその言葉に、擦り切れていた心が温かく癒えるのを感じた。難しくて解けないと思えた問題が案外簡単な答えだった時のように、何度も想像したシドウの言葉は呆気ないと言えるほど明快なもので、そこには僕のいじけた想像が入り込む余白など無かった。差し出されたシドウの答えに「あっ」と声を出しそうになったが、その前に僕は新築の匂いを感じながら泣いていた。

 

それ以来僕はシドウの言葉に長く助けられてきたと思う。それは息苦しさを感じた時の心の拠り所であり、その意味でシドウの言葉は僕にとって宗教のようであった。

好きな人からの言葉は大きい。小さな宗教になるほどに。反対にもし汚い言葉で拒絶されていたら、僕は今どうなっていただろうか。

  

 

先日テレビ番組でセクシャルマイノリティへの差別的な表現があったとして、テレビ局の偉い人が謝罪したニュースがあった。

僕はその番組自体についてより、そのニュースに付いたネットのコメントの方に衝撃を受けた。

そこには僕がかつて恐れながら想像した、シドウからの拒絶や嫌悪があったからだ。僕の想像を遥かに超えたパターンで表現される嫌悪、こうやって差別が生まれるんだなという身勝手な理屈がそこに満ちていた。そしてそれらに共通しているのは、マジョリティがマジョリティである事を疑わない傲慢さであった。

僕は多分、その傲慢さを憎んでいる。認めたらいけない憎しみを、憎むことで生まれるマジョリティのような傲慢さを、僕は僕の中に見つけている。忘れかけていた小さな宗教を久しぶりに思い出した。

 

運について

母が東京に遊びに来た。

僕の新居に遊びに来たのだ。

 

母は4泊ほどして帰っていった。

その間、母はご飯を作ってくれて、夜には姉と兄を家に呼んで4人でご飯を食べたりした。

朝起きるとパンと卵とレタスのサラダなどが用意してあり、甘い匂いのするコーヒーを一緒に飲んだ。

慌ただしく家を出るいつもの朝よりゆったりとしていた。

食べ終わると、今日の夜は唐揚げを作るからと、鶏肉を醤油に浸け始めた。

仕事を終えた後にご飯の支度をするのはとてもとても大変だ。何を作ればいいのか考える時点で既に面倒くさくなっている僕にとって、帰ったらご飯が出来ている状態は大変ありがたい。

その日は唐揚げを楽しみに早く帰った。

 

休日は姉と母とで上野の博物館に行った。深海の生物についての展示だった。僕と姉はすぐに飽きて「うわ、気持ち悪い」とか「うわ、光ってる」など見たままの感想を述べ合った。

母は興味があったようで熱心に見ていたが、足が疲れたようで家に帰り、近所でラーメンを食べた。「田舎には美味しいラーメン屋が無いのよ」という母の説を何度か聞き、そうですかそうですかと3人でラーメンを啜った。

 

母は時々僕の恋人について尋ねる。「〇〇ちゃんは元気にしてるの」とかその程度だが。

以前「彼氏がー」と話をしていたら、どうも僕が「彼氏」と言うのに母は馴染めなかったようだったので、それ以来〇〇ちゃん(普段の呼び名)で母に伝えている。そして〇〇ちゃんは大抵の場合元気である。

 

しばらくの滞在の後、母は美味しいラーメン屋が無い田舎に帰った。

1人になった家は寂しかった。元の状態に戻っただけなのに。

実家で暮らしていた頃の感じが、自分の家にほんのり漂っていた。

 

「〇〇ちゃんも一緒に田舎に遊びに来たらいいよ」と母は言う。

大抵元気な〇〇ちゃんに、一度会わせてもいいかなと思う。

そう思いながら、乾燥機から出したシーツを、シワを伸ばしながらベッドにかけた。

 

責任から逃れ、人との衝突を避け、意思を出さずに生きてきたら案の定何者にもなれなかったけど、僕にしては上出来かも知れない。

僕は恐らく運が良かったのだろう。

必修

友人がMacでアプリを作ったそうだ。

「え、アプリって作れるの?」というのがメカに弱い僕の感想で(僕のMacは専らgoogle chorome用である)さらに友人が言うにはX codeを使って言語はSwiftで作ったとの事だった。

 

すでに取っ掛かりからして分からなかったのだが、分からないと言って放っておくわけにもいかない。なぜなら2020年には小学校でプログラミングが必修になるとの事だからだ。生意気な小学生に「Swiftも知らないの?やばくなーい?」などと詰られるのを想像したら「温厚」が服を着ているような僕でも羞恥と屈辱のあまりカッとして、架空の小学生相手に事件を起こしそうになった。詰られてお縄にならないようプログラミングについて少しでも知っておこうと思う。僕は凪いだ心で穏やかに暮らしていきたいのだ。

シニア世代に対して何でメールが打てないんだろうとか、アプリのダウンロードが出来ないんだろうと思う事があるけれど、同様に子供世代から何でプログラミングが出来ないんだろうと思われる日も恐らく近い。

 

「すぐやる課」を心の中に置いている僕は早速、多機能であるはずなのに単なるWebブラウザと化しているMacを起動させX codeをダウンロードさせた。

しかしどうでしょう。現在のOSバージョンではダウンロード出来ませんとの事。

 

初めの段階でつまずいたため軽くやる気を削がれてしまった。そして最新のものにアップデートしている間にこのブログを書いている。 

ブログを書き終わった段階で今日は寝てしまうだろう。僕はつまずきに弱い人なのだ。架空の小学生が僕を詰るだろうが仕方がない。批判を甘んじて受けましょう。

散らかった部屋で待つ

マンションを買った。

引っ越しを繰り返し、初期費用の支払いに貯金残高を減らしていた僕だが、それもようやく落ち着くかも知れない。

 

ちょうど桜が咲く頃に母が東京に遊びに来た。

母とランチをしていたら「良さそうなマンションがあったから見に行きましょう」と言った。母は僕と同じくマンションが好きなのだ。遠く離れた田舎で暮らしていても、なぜか東京のマンションをインターネッツでチェックしている。

 

ランチを食べ終えて内見に向かうとハキハキとした若い営業さんがマンションの前に立っていた。

紫外線を避けるために帽子を目深に被りマスクをした怪しい母と、安価なユニクロに全身を包みキョロキョロと浮かれた僕。そんな金の無さそうで奇妙な親子にもグレーのスーツに身を包んだハキハキさんは、明るく親切に対応。

ハキハキさんは落ち着いていてるので30ちょい過ぎかと思っていたら、マンションのエレベーターで23歳と聞き、とても驚いた。

 

マンションの中を見せてもらったら想像よりも良くてテンションが上がった。

駅近だし、思ったよりも綺麗だし、管理も良さそうだし・・・。

いいねいいねと親と話し、冷やかしで見に行ったつもりが翌日に購入を決めた。

 

気になる点が無かったわけではない。天井に梁があって圧迫感があるとか、車の音がけっこう聞こえるとか。

だけど「買います」と宣言したら、急にその梁さえも愛おしくなり、車の音は消えた。

この部屋が自分のものになるんだという実感で気持ちが高揚し、危うく愛おしさのあまり壁紙に頰ずりするところだった。

 

3年ほど前に僕はマンションを探していた。だけど当時は値段の相場も分からなかったから、良い物件があってもそれが高いのか安いのかさえ分からず結局買う決断が出来なかった。(むしろ当時の方がマンションは今よりずっと安かった)

この物件いいかもと思っても、大きな買い物だからすぐに決断が出来なかった。

だけどその時に色々見ていたから今回はすぐに決められたと思う。

いつかマンションを買いたいと言う人は多いけれど、その「いつか」にすぐ買えるように、今のうちに色々見ておいても良いと思う。

 

それにしても営業担当のハキハキさんはこちらから電話をかけると

「ちょうど今わたしもお電話しようと思っていたところです」

などと、恋人同士の電話の始まりのような事を必ず言った。だからといってこちらが待っていても電話は来ないため、日毎に不信感が募った。

初期費用の計算が違っていたり、契約日が間違っていたり、引き渡しまで色々と大変で血圧の上がる場面が何度もあった。

ハキハキさんは「引っ越しが落ち着いた頃に挨拶に伺います」と言っていた。

多分来ないだろうと思っていて、案の定まだ来ていない。とにかくハキハキしていて感じが良い以外はダメなのだ。

 

引っ越しは落ち着き過ぎて、むしろ散らかり始めている。少し散らかった部屋に、今日もハキハキさんは来ない。

暗算が出来ない

最近引っ越しをした。2年の更新を待たずに部屋を出た。

引っ越しにかかる諸費用はかなりのもので、完全に引っ越し貧乏である。

 

6度ほど引っ越しを繰り返している僕は(うち1度は実家から出るためで、1度は会社都合だが)初めのうちは冗談で、すっかり引っ越し貧乏でねーなどと周りに言っていたが、そろそろ冗談ではなくなってきている。

引っ越しは敷金、礼金、仲介手数料、引っ越し代、鍵交換代、火災保険料、防虫加工代、保証会社加入料(必須)など、多くの名目で僕から金を取ろうとしてくる。

1回の引っ越しで数十万はかかるので数十万×回数を計算しようとしたが、急に簡単な暗算が出来なくなって止めた。

せっせとお弁当を作ったり、スーパーの日曜朝市に行ったり、ユニクロばかり着るような日々の節約より、引っ越しを控えるのが僕にとって最大の節約かもしれない。

 

友人から「引っ越しが趣味だね」と言われ、「そうそう、金のかかる趣味だよ」なんて言っていたが、もはや趣味を通り越して特技と言ってもいいのではないだろうか。

出会いのアプリをやっていたら、特技は引っ越しと書きたいところだ。

「突然のメッセージすみません。引っ越しが特技なんですね。珍しいプロフィールなので気になりました。よかったら今度飲みに行きませんか」なんてメッセージが来る事を希望する。

 

ところで引っ越しを繰り返して感じるのは、暮らす地域によって空気が変わる事である。

住んでいたのは神奈川、埼玉、東京の3県なので、電車でせいぜい1時間もあれば移動出来る範囲なのだが、すこしずつ異なった雰囲気を持っている。

同じようなスーパー、チェーン店、コンビニがあって、同じようなサイズ感の街でも、住んでいる人が違えば雰囲気も異なる。

 

例えば学生の時に間違って別のクラスに入った時に強烈な違和感を感じたように、同じ形の教室でも中の人間によって雰囲気は作られるのだと思う。

 

先日出て行った街は、正直あまり良いと思えなかった。

ただこれは相性の問題だと思う。住みたい街、住みやすい街、などと住宅情報誌などで謳われている街も、結局は当たり前かも知れないけど、自分との相性なのだ。

人気者が集うクラスが良いクラスかと言えば、必ずしもそうでは無いのだ。

 

僕が街を好きになれなかったのと同時に、恐らく街も僕を好きじゃなかったと思う。

まるで「街」が意思を持っているみたいだが、住んでいる人の集合体として「街」があるなら、当然街は意思を持っている。

 

引っ越したあと、退去の立会いをしに前の家に行ってきた。

家具を全て出した後の部屋はガランとしていて、それでもとても狭かった。

立会いに来た管理会社の人が「電気、ガス、水道、郵便の転送はしたか」と聞いてきた。

「(特技は引っ越しなので当然)しました」と答えて、鍵を3本返し、同意書に汚い字でサインをして部屋を出た。