愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

どうでもいい嘘

「今日この後の予定は?」

美容院、鍼灸院なんかでサラっと聞かれるけど、大体困る。

え、髪切るのが予定だったんだけど。鍼を打ってもらうのが今日の予定だったんですけど。だから今日の予定はこれで終了。帰ってご飯作って寝ます。って感じ。

「換気扇の保護カバーが汚れてきたから帰って交換します。保護カバーって不織布のやつでさ、切ってマグネットで止めるやつ。あれ使ってると換気扇が全然汚れなくていいよ」

とか

「これから無印に寄って、買いもしないのにルームフレグランスの香りを嗅いで回ろうと思ってます。嗅いだ後に『なるほど、リラックスね、確かにそんな香り』とかやりません?」

なんて答えが許されるなら良いのだが、質問者が想定している「予定」に保護カバー交換やルームフレグランスの嗅ぎ回りは含まれていない事は僕でも分かる。

時々「夕方から友達と会う予定です」なんて本当だったり嘘だったりする事を言ってみるけど、嘘だった時の切なさったら。どうでもいい嘘ってこれだと思う。

 

まあ決まり文句みたいな、何気ない質問だと思うんだけどね。

お仕事白書

新しい職場での仕事が始まった。

有休消化で休んでいたのは1ヶ月半。これくらい休むと「そろそろ働いてやってもいいよ」と仕事に対して強気になれるので、精神衛生のためにこれからも時々長期で休んでいきたい。

初日の勤務では4時間働いたところで早速「仕事の拘束時間長っ!」と思った。休憩1時間を含めて9時間の拘束。休憩を終えて更に4時間も働くなんて信じられない。労働に対してのブランクは僕に、当然のごとく行われている労働の基準に疑問を抱かせる。

新しい職場は今の所ヒマ。これから徐々に忙しくなりそうではあるが、ヒマな時間は陽気な女子と一攫千金を得るにはどうしたら良いかなどと喋っている。

職場を観察していると陽気な女子とやや陰気な女子との間に不穏な空気が流れているようだ。多分その橋渡しをするのが僕の役目だろうと思う。僕は自分で言うのはなんだが、女子間に流れる不穏な空気を察知し、それでいて不穏な空気に気付かない振りをして角を立てないように振る舞うのが得意なのだ。これは才能といってもいいかも知れない。だれも感動させない才能ではあるが。

職場での役目が自分なりに決まったところでようやく業務終了の時間が近づいた。僕は仕事の中で「退勤」が一番得意なので、閉店時間が近づくと早く帰りたい気持ちでソワソワしてくる。定時でスッと帰れるよう、10分前に閉店の準備をしていると「準備早すぎない?」と陽気な女子がやや驚いた様子で言ってきた。僕は定時に閉店作業を開始するのではなく、定時に作業を終えて帰りたい旨を伝えた。1分1秒でも仕事に長く拘束されたくない旨も伝えた。

すると陽気な女子は「家で誰か待っているの?」と聞いてきた。家には誰もいない。さらには犬や猫さえいない。ただ「何かをするために早く帰る」のではなく、「早く帰れたから何かをする」というのも良いではないか。働き方改革なんて言葉を便利に使ってどんどん早く帰ろうと思っている。

ニトリが最近すごい。

名古屋で暮らしていた叔母が東京に引っ越してきた。

叔母は一般的には高齢者と言われる年齢ではあるが、今でも日数を減らして仕事を続けている。

 

叔母はエステの勉強をして、ゆくゆくは自宅で施術をしたいようだ。月に何度か東京で開かれるエステのセミナーに参加するため名古屋と東京を行き来していたが、ホテル代や交通費もかかるため、とうとう東京に家を借りる事にした。

エステのセミナー。怪しいような気がしないでもない。だけどそれが叔母の楽しみや活力になるなら、もし怪しい何かだったとしても構わない。サークル活動みたいなものだと思うようにする。

 

叔母が東京に越して来る日、僕は引っ越しを手伝いにいった。名古屋の家はまだ残しているので荷物は少ない。当面の間必要な物だけだ。ただ少量ではあっても、祖父母と同居していた叔母が持って来る荷物は、当然ではあるが祖父母の家の匂いを放っていた。重たい色のタンス、鏡台、額に入った絵。見覚えのある物だった。祖父母はすでに亡くなっているけれど、それでも名古屋はまだ「祖父母の家」といった感じがする。

 

荷物を解いて落ち着いた後、別日に水切りかご、ふきん掛け、カトラリー入れ、突っ張り棒など 、細々とした物をニトリに買いにいった。新生活って本当に物要り。初めての一人暮らしを思い出し、見ているうちに僕もふきん掛けが欲しくなった。人の物がすぐに欲しくなる。

ところでニトリって最近すごくない?結構何でも揃うし安い。あれもこれも欲しくなるんだけど。

 

家に戻り、買ってきた物を整理した。細々としたものが揃った家は早速「叔母の家」といった佇まい。叔母の一人暮らしがスタートした感じがあった。夜は叔母が新居の近くでお寿司をご馳走してくれた。

お寿司はとても美味しかった。ビールも飲んだ。もうおじさんの年齢なのに、遠慮なくご馳走になった。

 

叔母はきっと、目的通り自宅でエステを始めると思う。僕の不安は多分当たらない。叔母にはそう思わせる強いバイタリティがある。

「私が勉強すると若い人が安心するみたいなの」と叔母はいつか言った。

なんだか走り出したい気分だった。春だからか、それともビールを飲んだからなのか。

性格はいつか運命に

有休消化で仕事を休んでいる。

 

仕事が休みだと思った途端に湧いて来るパワーにより、休みの間に済まそうと思った用事は効率的に済ます事が出来た。自分史上最大のパフォーマンス。とても矛盾しているがこのパワーを仕事に生かせたらどんなに良いだろう。

 

そのためとっても暇になってしまった。暇を愛し、さらには暇に愛されるのが僕だと思っていたけれど、恐ろしい事に僕の体には労働の習慣が染みついているようで、3日休んだだけで罪悪感に似たものを感じている。せっかくの休みだから思う存分ゆっくりしてもいいのだけど、昼寝をしただけでハッとして飛び起きる始末。

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから」という言葉を借りるなら、僕は今や従順な労働者の性格なのかも知れない。本当に恐ろしい。

 

グレイテストショーマンを見てきた。

歌はいいんだけど、話がすごく薄ーい。実家で飲むカルピス並みに。ミュージカル映画だから仕方ないのかも知れないけど。

そしてマイノリティも胸を張って!みたいな伝え方をしてくるんだけど、いやいや全然胸張れないし、むしろ逆じゃない?って思った。ララランドと同様、誰にも感情移入出来ない・・・。

っていうのが感想でした。モヤモヤしてyahoo映画のレビューを見たら「全てのマイノリティに捧ぐ賛歌」などと書かれていて更にモヤモヤ。つまらないのは僕の感受性の方ですねと、TOHOシネマズのエスカレーターを下りながら思いました。

だけど、リメンバーミーはめっちゃ面白い!泣いた。良かった。僕の感受性はまだ生きてる。

世界はそれを世間と呼ぶんだぜ

ピアノのレッスンを受け終えて外に出ると、ベンチコートを着たお兄さんが居酒屋の客引きをしていた。駅に向かう交差点の信号待ちで人が集まり、お兄さんが既に酔っていそうな集団や2人組に声をかける。先日降った雪がまだ残る寒い日だけど、メニューを持つお兄さんの足元はサンダルだった。

 木曜の夜がピアノのレッスンだ。木曜は仕事の疲れが溜まる頃で、僕は早く帰ってご飯食べて寝たいとか考えているのだけど、周りを見渡すとそんな疲れの様子も見えない楽しそうな集団が沢山あるなと思う。僕のように1人で歩いている人も沢山いるけれど、信号待ちの歩道はあちこちから集まる楽しそうな集団で埋め尽くされた。

 客引きのお兄さんは1人の僕を素通りして集団の方へ声をかけにいく。寒そうだなとか、客引きしないといけないくらいだから大したメニューじゃないだろうなとか、そんな事を考えていると信号はようやく青に変わる。早く帰りたいなあ。

 

信号待ちの集団に囲まれている時に、お兄さんが素通りする時に、もしかして自分って寂しい人なのかなと思う。寂しいと思う事なんてほとんど無いのに。夕方に眠ってしまって、夜の遅い時間に蛍光灯の眩しさで目が覚めた時のやりきれない気持ちは、寂しいに少し似ているけれど。何か満たされない気持ちで夜更かしをしてしまうのも、寂しいに少し似ているけれど。もしかしてそれが寂しいという事だろうか。

分かっているのは僕がその時「寂しくて嫌だな」ではなくて「寂しい人だと思われたら嫌だな」と感じていた事だ。一体誰から?

簡単に言えばクソみたいな感覚だなと思う。

 

先日転職エージェントと面談をした。

「仕事に割く時間をなるべく減らしたい。拘束時間を減らしたいし、通勤時間も減らしたい。出来るなら満員電車で消耗したくないし、勤務形態は単発の派遣でも構わない」

そんな旨をエージェントに相談したら「正社員の方がキャリアが・・・、この先結婚して誰かを養う立場になったら・・・、派遣は今はいいけどこの先が・・・。」

などと、ひどく尤もな答えが返ってきた。まあそう言うだろうね、って感じ。ところで結婚云々についてはこのご時世、ナントカハラスメントになりそうである。

「10年正社員で働いたけど何かキャリアを積んだ気はしないし、結婚はする予定ないし、なにしろ仕事に割く時間を減らしたい。」

などと年下のエージェントに説明しながら、途中から説明が面倒になってきた。正社員→結婚→誰かを養うというパターンが、28歳のエージェントの中に確固としてありそうだったからだ。僕は単に労働意欲に欠ける応募者と捉えられただろう。(まあ間違っても無いけれど)

仕方がないのでエージェントの前職や、結婚の予定について質問し、面談の時間は終了した。彼の前職は鎌倉の人力車の車夫、結婚の予定は未定、趣味はブレイクダンスとの事。彼の語りは柔らかく滑らか。淀み無く出てくる言葉は僕に、彼のキラキラとした未来を想像させた。

 

面談の帰り道、やっぱり社員で働いてた方がいいのかなと思った。

寂しくないと言いながら、寂しく見られる事を恐れているように、正規雇用にこだわらないと言いながら、どう見られるかを恐れている。

見られるって一体誰から。

35億ではなく

34歳になった。

 

誕生日の少し前に、同じ誕生日の友人と食事をした。

その友人とは誕生日祝いを兼ねて食事をするのが恒例になっていて、今年で6回目のようだった。

10回目まではやりたいねと言って、普段食べないような凝った料理を食べた。

料理にはカリフラワーのブランマンジェに大根を散らした…などと説明があった。

ガラスの中に泡が閉じ込められたようなグラスにシャンパンが注がれて「今日はお祝いだね」と言った。

「大人になって良かったね」と友人。彼はこれを毎回言うのだ。

 彼は僕の質問にきちんと答えてくれる。どんな年にしたいか、カリフラワーって普段買う?ドイツっていい国?などの質問に。

彼はそれらに適当に答えないし、だからと言って語りすぎる事もない。言葉の分量がちょうど良いのだ。ついでに言えば料理の量もちょうど良かった。

 

きっとこの人と一緒に歳を取っていくんだなと思える人が何人かいる。幸運な事だと思う。

段々と歳を取る事にポジティブな感想を持てなくなってきたけれど、その人たちと歳を取れるなら、ポジティブとまではいかないけれど、それも悪く無いかなって。仕方ないよねって。

笑っていいとも

彼とは新宿アルタ前で待ち合わせした。

アルタ前といえば「笑っていいとも」だ。変わった特技を持っていたり、芸能人に似ている人が朝9時半までに集合する所だ。

新宿には小田急線に30分ほど乗って辿り着いた。テレビの向こうの世界に近づける場所で彼と待ち合わせした。

当時の僕は新宿に行ったことがほとんど無く、指定されたアルタ前の場所は事前に調べて向かった。アルタ前の場所が分からないとは言わなかった。なんとなくバカにされるような気がして。

待ち合わせ場所に現れた彼の顔は、もうほとんど覚えていない。名前さえも覚えていない。マサとかカズとかマサカズとか、恐らくそんな名前だろう。覚えているのは彼が28歳で僕が20歳だったという事。

彼に会った感想は、28歳って思ったより老けてるな、だった。

彼とはケンタッキーでお茶をした。奢るという彼の申し出を、頑なに断ってお茶をした。貸しを作ったらいけないと思った。

新宿南口の工事中の道で彼は「けっこうタイプかも」と、僕への控えめな好意を伝えてくれた。僕はそれを聞いて笑ってしまった。驚きが強いと笑いになるのは新たな発見だった。僕は自分への発見を感じながら騒音の中で声を出して笑った。ちっとも笑っていいともでは無い状況で。僕は彼のちょっとした好意を茶化してしまった。

 

初めて付き合った人とは1ヶ月も経たないうちに別れた。彼は東高円寺に住んでいて、別れた後は辛くて丸ノ内線に乗れなくなった。丸ノ内線に乗り続けるために、積極的に彼を忘れるやり方を覚えた。

三角関係の後に仲良くなった人もいた。彼との関わりでは好きと言ったら壊れてしまう関係もあることを覚えた。お互いに都合の良い関係になるために、曖昧を良しとする事もあるようだった。

「え、それ間違っているよ」と思えるルールを振りかざす「こっちの世界」を語る人たちも沢山いた。こっちの世界じゃ当たり前だから、と。要するに危ういモラルに基づいた、自分の身勝手を許すためのルールだった。彼らは「こっちの世界」を連呼して、実際には少数に過ぎない自分達のルールをあたかも全体の常識のように語ってきた。そして不思議な事に、どのコミュニティにも彼らと似た人がいた。うんざりする程に彼らのルールを刷り込まれ、こっちの世界というものに「染まっていく」人が沢山いた。

ルールを語る彼らはマイノリティである前に弱者であった。私をゆるして、あいして、受け入れて。甘ったれた願いをまとって吐き出される彼らの言葉はルールと言うよりエクスキューズに近い。

 

少し疲れてきたのかも知れない。僕は恋愛において、半ば強引に気になる人の家に泊まりに行ったり、決定的な事は言わないままに相手の出方を待ったり、相手に委ねる手段ばかり覚えた。気づけば彼らの言う「こっちの世界でのルール」と大差ない事を結局僕もしていたのだった。そして、したいのかしたくないのか分からないセックスをし、湧いた情と愛とを容易に混同した。

何かに餓えていたのだと思う。金魚が酸素を求めて口を開くように。そして僕にとっての酸素は一体何だったのかは今も分からない。

 

 

30歳を過ぎてクラブのイベントに行った。大きなイベントだった。

僕は人が多い所と、うるさい所と、夜更かしが苦手だ。同様に人が多い所とうるさい所が苦手な友人と「疲れたらタクシーで帰ろうね」と誓い合い、行く前から帰る準備をする周到さで会場に向かった。

深夜になり、吐息のような熱気と湿度をまとった会場で昔の知り合いを見つけた。

彼はステージの上で小さな下着を履き、鍛えた体を見せつけるように踊って(?)いた。その姿は10年近く前の僕の記憶と、全くと言っていいほど異なっていた。

異なった姿で、しかも普段の自分の生活では縁のなさそうなタイプの姿で現れた彼に少し戸惑った。例えるならSNSでいつまでも「増量中!」と書いていそうな風貌だった。

ステージで晒される彼のしっとりと濡れた体や、小さな下着で辛うじて隠される膨らみは、ひどく性的であった。しかし僕に性的に訴えてくる事は無かった。

それは、いつか埼玉の家まで自転車で二人乗りした時の彼の背中や、文京シビックセンターの展望台で絡ませた彼の小指や、新越谷の公園で喉を鳴らしてビールを飲む時の彼の首筋の方がよほど性的だったからだ。

しかし目の前にいる彼に、好もしかったその特徴は見つからない。

ステージの上の彼はどこを見ているのか。視線の先には何があるのか。視線の先に目を移すが、暗くて何も見えない。もしかしたら何も見えていないのかも知れない。そうしているうちに、彼の目が垂れ目の所だけ僕の記憶と一致した。

きっと彼は僕の事を覚えていない。過去を捨てたかのような変貌を遂げた彼にとって、恐らく僕はそれこそ名前も思い出せない、マサだかカズだかマサカズなのだろうから。

すると記憶の中から彼の姿は消え、僕は1人取り残された。ペダルのきしむ自転車にも文京シビックセンターにも新越谷にも、彼はいない。共通の思い出をどちらか片方だけが持つなんて悲しい事だ。

 

 

後ろのスピーカーから大音量で音楽が流れていて、背中をビリビリと震わせた。目の前には消えたはずの彼がいる。

人が多くてうるさい所。

僕は友人とタクシーで帰った。

前職は電気工事士だと言うタクシーの運転手は夜の街を飛ばしてくれた。スピードが上がるほどに脳にこびり付いた「彼」への記憶が散っていくようで爽快だった。