愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

笑っていいとも

彼とは新宿アルタ前で待ち合わせした。

アルタ前といえば「笑っていいとも」だ。変わった特技を持っていたり、芸能人に似ている人が朝9時半までに集合する所だ。

新宿には小田急線に30分ほど乗って辿り着いた。テレビの向こうの世界に近づける場所で彼と待ち合わせした。

当時の僕は新宿に行ったことがほとんど無く、指定されたアルタ前の場所は事前に調べて向かった。アルタ前の場所が分からないとは言わなかった。なんとなくバカにされるような気がして。

待ち合わせ場所に現れた彼の顔は、もうほとんど覚えていない。名前さえも覚えていない。マサとかカズとかマサカズとか、恐らくそんな名前だろう。覚えているのは彼が28歳で僕が20歳だったという事。

彼に会った感想は、28歳って思ったより老けてるな、だった。

彼とはケンタッキーでお茶をした。奢るという彼の申し出を、頑なに断ってお茶をした。貸しを作ったらいけないと思った。

新宿南口の工事中の道で彼は「けっこうタイプかも」と、僕への控えめな好意を伝えてくれた。僕はそれを聞いて笑ってしまった。驚きが強いと笑いになるのは新たな発見だった。僕は自分への発見を感じながら騒音の中で声を出して笑った。ちっとも笑っていいともでは無い状況で。僕は彼のちょっとした好意を茶化してしまった。

 

初めて付き合った人とは1ヶ月も経たないうちに別れた。彼は東高円寺に住んでいて、別れた後は辛くて丸ノ内線に乗れなくなった。丸ノ内線に乗り続けるために、積極的に彼を忘れるやり方を覚えた。

三角関係の後に仲良くなった人もいた。彼との関わりでは好きと言ったら壊れてしまう関係もあることを覚えた。お互いに都合の良い関係になるために、曖昧を良しとする事もあるようだった。

「え、それ間違っているよ」と思えるルールを振りかざす「こっちの世界」を語る人たちも沢山いた。こっちの世界じゃ当たり前だから、と。要するに危ういモラルに基づいた、自分の身勝手を許すためのルールだった。彼らは「こっちの世界」を連呼して、実際には少数に過ぎない自分達のルールをあたかも全体の常識のように語ってきた。そして不思議な事に、どのコミュニティにも彼らと似た人がいた。うんざりする程に彼らのルールを刷り込まれ、こっちの世界というものに「染まっていく」人が沢山いた。

ルールを語る彼らはマイノリティである前に弱者であった。私をゆるして、あいして、受け入れて。甘ったれた願いをまとって吐き出される彼らの言葉はルールと言うよりエクスキューズに近い。

 

少し疲れてきたのかも知れない。僕は恋愛において、半ば強引に気になる人の家に泊まりに行ったり、決定的な事は言わないままに相手の出方を待ったり、相手に委ねる手段ばかり覚えた。気づけば彼らの言う「こっちの世界でのルール」と大差ない事を結局僕もしていたのだった。そして、したいのかしたくないのか分からないセックスをし、湧いた情と愛とを容易に混同した。

何かに餓えていたのだと思う。金魚が酸素を求めて口を開くように。そして僕にとっての酸素は一体何だったのかは今も分からない。

 

 

30歳を過ぎてクラブのイベントに行った。大きなイベントだった。

僕は人が多い所と、うるさい所と、夜更かしが苦手だ。同様に人が多い所とうるさい所が苦手な友人と「疲れたらタクシーで帰ろうね」と誓い合い、行く前から帰る準備をする周到さで会場に向かった。

深夜になり、吐息のような熱気と湿度をまとった会場で昔の知り合いを見つけた。

彼はステージの上で小さな下着を履き、鍛えた体を見せつけるように踊って(?)いた。その姿は10年近く前の僕の記憶と、全くと言っていいほど異なっていた。

異なった姿で、しかも普段の自分の生活では縁のなさそうなタイプの姿で現れた彼に少し戸惑った。例えるならSNSでいつまでも「増量中!」と書いていそうな風貌だった。

ステージで晒される彼のしっとりと濡れた体や、小さな下着で辛うじて隠される膨らみは、ひどく性的であった。しかし僕に性的に訴えてくる事は無かった。

それは、いつか埼玉の家まで自転車で二人乗りした時の彼の背中や、文京シビックセンターの展望台で絡ませた彼の小指や、新越谷の公園で喉を鳴らしてビールを飲む時の彼の首筋の方がよほど性的だったからだ。

しかし目の前にいる彼に、好もしかったその特徴は見つからない。

ステージの上の彼はどこを見ているのか。視線の先には何があるのか。視線の先に目を移すが、暗くて何も見えない。もしかしたら何も見えていないのかも知れない。そうしているうちに、彼の目が垂れ目の所だけ僕の記憶と一致した。

きっと彼は僕の事を覚えていない。過去を捨てたかのような変貌を遂げた彼にとって、恐らく僕はそれこそ名前も思い出せない、マサだかカズだかマサカズなのだろうから。

すると記憶の中から彼の姿は消え、僕は1人取り残された。ペダルのきしむ自転車にも文京シビックセンターにも新越谷にも、彼はいない。共通の思い出をどちらか片方だけが持つなんて悲しい事だ。

 

 

後ろのスピーカーから大音量で音楽が流れていて、背中をビリビリと震わせた。目の前には消えたはずの彼がいる。

人が多くてうるさい所。

僕は友人とタクシーで帰った。

前職は電気工事士だと言うタクシーの運転手は夜の街を飛ばしてくれた。スピードが上がるほどに脳にこびり付いた「彼」への記憶が散っていくようで爽快だった。