愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

ドラム式洗濯機

20時半。新橋から銀座線に乗ると車内はかなりの混雑。外国人観光客の集団は大きなスーツケースを持って車内の奥のスペースを占領している。奥に詰められない僕はドア付近のもっとも混雑する所に立つ事になり、後から乗車する人に背中を押される。次の停車駅の銀座では、おじさん2人がかなり大きな声で話しながら乗車し、僕の隣に詰めてきた。彼ら2人は多分酔っ払っている。

2人ともシワの寄ったスーツを着て、そのうちの1人は「あいつ若いのに何が楽しいって言うんだよ、人の言う通りにして。自分の人生だぞ」と、恐らく同じ会社の若い人に対する思いを繰り返し語っている。もう1人のおじさんは相槌を打つばかり。

日本橋で大勢の人が押し合いながら降車していく。おじさん2人も日本橋で降りていく。東西線に乗り換えるのだろうか。声の大きいおじさんは降りる直前にもう1度「自分の人生だぞ」と言っていた。

熱弁をふるっていたおじさんはきっと、人の言う通りにする人生を送ってきたのだと思った。彼の語調はこれまでの経験に基づいたアドバイスと言うより、そう出来なかった自分への呪詛のようだったから。僕はいつか、このおじさんみたいになるかも知れない。僕の声はおじさんよりも、全然小さいけれども。

 

彼氏が長期の出張から帰ってきた。早朝に日本に到着すると聞いていたので、早起きして味噌汁を作り、鮭を焼いた。前日に買っていた味のりをご飯に添え、青菜をさっと茹でてお浸しにした。

僕の家に着いた彼は、味噌汁に喜ぶ。葉物の野菜に喜ぶ。白ご飯に喜ぶ。一通り食べた後に彼はシャワーを浴びるために脱衣所へ。僕は湯船にお湯を張っている事を彼に伝えた。湯船のお湯にゆっくり浸かって、長時間のフライトの疲れを取ったら良いと思う。

日本で暮らす家を見つけるまでの間、彼氏は僕の家に泊まった。

彼氏はよくシャワーを浴びる。いつもは朝起きた時と、出かけて帰って来た時に。そして夜遅くには湯船にゆっくり浸かる。決して広くはない家で、生活する人が1人から2人に増えたけど、単純な倍計算よりも早く乾いたタオルが消費される。だから僕は頻繁に洗濯機を回す。彼氏の脱いだ服を拾い上げ、僕の脱いだ服と、たくさんのタオルを洗濯機に放る。アリエールとワイドハイターとレノアを洗濯機に入れる。

彼氏が僕の家を出て行くまではほんの1週間だった。ほんの1週間、簡単なご飯を作ったり洗濯をしたりしただけで、ちょっと疲れてしまった。恋人と長く同棲している友人を僕は尊敬する。僕は1人暮らしが長いせいなのか、今さら誰かのペースに合わせて暮らすのが無理なのかも知れない。

僕は彼氏より先にお風呂に入ろうと、脱衣所のドアを閉めていつも通り洗濯機のスイッチを押す。そして回り始めた洗濯機の音を聞く。ジャー、ゴゴゴ、バサッバサッ。洗濯機の音はドアの向こうの彼氏の生活音を消してくれる。バサッバサッ。濡れた洗濯物が回転するドラムに叩きつけられる様を見て、僕の心は落ち着きを取り戻す。

 

最近まで「獣になれない私たち」を見ていた。「私たち、誰の人生を送ってきたんだろうね」はガッキーのセリフ。ハッとした僕は、誰かの意に沿うように生きてきちゃったのかも知れない。

 

もうちょっと主体的な人生を送ろうと思う。自分の人生が他人事みたいにずっと思っていたけれど、その行く末が呪詛のような言葉を並べるおじさんであるならば、今のうちに修正したい。