愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

友人の事を書くのは難しい

先日学生サークルの同窓会があった。そのサークルはLGBTの学生が集まるインカレサークル。僕が大学生の頃に参加していたものだ。

久しぶりに会う友人は恋人と同棲していたり、別れたり、結婚したり、遠くで暮らしていたり、そんな環境の変化はあっても基本的には変わらなかった。

乾杯をしてそれぞれの近況を報告し合っているうちにコースの料理が次々と運ばれる。そしてテーブルの上はほとんど手のつけていないお皿でいっぱいになった。初めのうちは皆近くの席の人と話していたが、しばらくすると自然と席替えになった。

「久しぶり、最近何しているの?」

僕は友人の1人に聞いてみる。彼女は化粧品関連の仕事をしていたから、それを続けているだろうなと思っていた。

「私、今お笑いの学校に通ってるの」

意外だった。意外だけど、なんだか彼女らしいとも思えた。

「私、仕事辞めて学校通ってるの。バイトもしてるけどね。やりたい事全部やってやろうと思ってるの。ちまちま石鹸売ってる場合じゃ無いわ」

ちまちま働いている僕には刺さる言葉だった。

 

彼女は数年前に性別適合手術をした。そのせいなのか、単に年齢を重ねたからなのか、雰囲気が丸くなったように感じた。

彼女に初めて会ったのはその学生サークルでだった。僕は初め彼女の事を、なんだか異様に元気で骨太なビアンだと思った。背が高く、声が大きく、「キャメロンディアスに似ている」と自称していて、ちょっとヤバい人なのかなと思った。サークルには当時ゲイ、ビアン、バイの人がいて、彼女のようなトランスの人は珍しかった。と言うより、当時はあまりトランスという呼称は使われていなかった(僕が知らなかっただけかも知れない)ように思う。LGBTなんて言葉は無かったし、セクシャルマイノリティという括りだった。

彼女は個性的で目立つ格好をしていた。一緒に新宿の駅まで歩く時やご飯を食べにいく時に、道ゆく人が彼女を見るのが分かった。「女装している人がいる」という好奇と奇異の入り混じった視線。彼女は女性であったが、それを何故か関係の無い人達が許さなかった。

 

10年以上前にレインボーパレードに参加した事がある。「仮装して渋谷を歩くイベント」という浅い認識で僕は友人と女装してパレードを歩いた。パレードの途中でセクシャルマイノリティの権利を主張するプラカードをいくつか見た。そんな中で彼女は「異性愛は美しい」と書いたプラカードを掲げていた。

「『ノンケ』ってストレートへの差別用語だと思うわ!本当に下品だと思う!」といつか彼女は言っていて、僕はノンケという言い方を止めた。

 

「誰も傷つけないお笑いをやる」と彼女は言う。にゃんこスターみたいだねと僕は言ったけど、彼女は聞いていなかった。

同窓会では5月に誕生日を迎えた人にケーキが用意されていた。5月生まれの彼女はみんなの前で今年の抱負を言った。

「今年は普通に生きます」

仕事を辞めてお笑いの学校に通うのは、もしかしたらあまり普通じゃないかも知れない。それに恐らく「普通」というものに苦しみ、「普通」と闘ってきた彼女が、自ら普通になると言ったのは意外だった。

彼女の言う普通についてそれからしばらく考えていた。僕は彼女ではないから結局は想像になってしまうけど、個人が何かに制限されないで生きていける事が、彼女にとっての普通なのかも知れない。闘う事でつまらない普通を退け、彼女は新しい普通を勝ち取ったのかも知れなかった。