愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

しもきたざわ

久しぶりに下北沢駅に降りた。小田急線のホームから長いエスカレーターを乗り継いで地上を目指す。いつも使っていた出入り口は閉鎖されていて、案内板に大きく書かれた矢印に誘導されて歩くと新しい出口に行き着いた。小さくて暗くて綺麗ではなかった駅舎は生まれ変わる途中なのだけど、生まれ変わりにはだいぶ時間がかかるようで、思ったよりも工事は進んでいなかった。

下北沢は若い人が多かった。一体いつもはどこにいるのってほどに、普段回りで見かけないような若い人種だった。町は古着屋が減り、代わりにスパイスを入れたミルクティー屋になっていたりした。

教えてくれた目的の場所をネットで調べる。僕は貰っていたフライヤーに書かれた2本の平行線と、それに交差する1本線、それから矢印で「here」と示されるような見辛い地図には頼らずに、グーグルマップで場所を調べた。それは4階建の古いビルで、3階はカレー屋さんだった。果たしてここが「here」なのか怪しくなるくらいに、見辛い地図はいい加減でもあった。

幅が狭くて急な階段を上ると4階には簡素な受付スペースがあり、僕はそこで友人の名前を告げた。すると若い受付の女はパンフレットを数部と、1ドリンクのチケットを僕に渡した。

分厚い扉の向こうからは既に音が聞こえている。ノブに手をかけて扉を押すと、中は陽圧なのかブワッと風が吹き出し、僕は風と同時に扉から漏れてきた音の大きさに驚いた。

 

僕は1ドリンクチケットを手にドリンクカウンターに並ぶ。カウンターのお兄さんは金属のホースのようなものをもって次々とドリンクを注いでいく。僕はお兄さんに大きな声でジントニックを注文する。ビールって気分じゃないし、甘すぎるのも嫌だし。ジントニックはちょうど良い感じがする。なんとなくこの場所の正解って感じもする。

僕は空いている椅子に飲み物を持って腰掛ける。友人が出演するバンドはまだ先のようだった。回りを見ると音に合わせて体を揺らしていたり、壁にもたれてお酒を飲んでいたり、座りながら真剣に奏者を見つめていたり、楽しみ方は色々あるようだった。そのどれもがライブの正しい楽しみ方という感じがした。僕はどう楽しんでいいのか分からず、飲み物を飲んでみたり、パンフレットの文字を追ったりした。なんとなく居心地が悪かった。

演奏が終わり、パラパラと拍手が起きた。僕は音楽の事はよく分からない。もし拍手の大きさが演奏の出来栄えと比例するならば、大した事のない演奏と思われる、そんなまばらな拍手だった。まばらな拍手を受けた彼らが大きな楽器を片付けるのと同時に、友人とバンドのメンバーがセッティングのために舞台に上がるのが見えた。

友人のバンドがセッティングしている間、先ほど演奏を終えた人たちが観客席にやってきた。前列にいた観客の数人と何やら話している。なんだかとても楽しそうに見えた。

簡単な挨拶で友人のライブが始まった。友人はボーカルだった。僕は初めて聞く彼の歌声に耳を澄ました。やや気怠そうな、ちょっと悲しそうな歌声だった。それほど大きくはない演奏の音が邪魔だなと思うくらいに、僕は彼の歌声に集中した。普段とは違う面を見せる友人が眩しかった。僕は先ほどまで感じていた居心地の悪さが消えているのに気づいた。それほど集中していたのもあるし、もしかしたら純粋に楽しめていたのかも知れないし、誰かの才能を羨ましがるのがいつも通りの僕だからかも知れなかった。演奏が終わり、僕はとっくに飲み干していたジントニックカップを床に置いて沢山手を叩いた。

凍結

年末年始に実家に帰省していた。

帰省の際、実家に柿の種を持って行った。おかき屋で売っていた柿の種。ぷくっとふくれた柿の種は軽い歯ざわりで後をひく美味しさ。四角いプラスチックのボトルに入った柿の種は恐らく正味500gくらい。これなら長く楽しめるだろうと思った。

実家に着いてトランクから柿の種を出すと、父は渡す前から手を伸ばして来た。遠慮がちでテンションの低い父からするとこの行動は珍しい。想像よりも気に入ってくれたようだった。

晦日の朝に到着し、夕方には柿の種は半分になっていた。このペースだと元日には無くなっているだろう。

 

父の朝は早い。元日の早朝に音がするので目を覚ますと、父が洗濯機を回してお風呂場を掃除しているのだった。お風呂場の排水部は磨かれ、髪の毛をキャッチする部品はカビが生えないように伏せて乾燥させている。姉が連れて来た犬には朝食を与え、朝の雑煮の準備をしている。

これは正月だから、と言うわけではない。父の毎朝のルーティンである。

 

父のルーティンには犬の餌やりがあった。が、実家で飼っていた犬は去年死んでしまった。18年も生きたから大往生だったと思う。

昨年僕が実家に帰った時には、餌は柔らかく練ったものを少量食べるだけだったし、目は見えないようでテーブルの足にぶつかっていたし、耳も聞こえないみたいで名前を呼んでも耳は垂れたまま反応しなかった。一緒に寝ると布団の中で死んでいないか心配だったし、その弱い呼吸をお腹の動きで確かめて、死んでいない事を確認した。寝たままなかなか起きない事もよくあったし、起きてもすぐ寝てしまう事が多かった。時々起こしてトイレに連れて行くと、時間をかけて寝ぼけた様子で排泄した。上手にできたね、と褒めてやる。偉いね、と褒めてやる。出来る事がどんどん減っていくから、排泄が出来ただけで大げさに褒めた。見えなくて聞こえなくて、すこし怯えたようなその顔をのぞいても、目の奥は白くなっていて僕の姿を捉えない。だけど相変わらず、非常にかわいかった。

東京に戻ってしばらくして、犬が死んだと知らせがあった。僕は悲しいよりもホッとした。長く生きて頑張ったね、偉いね。上手にトイレが出来た時みたいに褒めてやりたい気持ちだった。近くで世話をしていた父と母も僕と近い気持ちだったのではないだろうか。それに今にも消えそうな命が近くにあって、心がジリジリする方が怖かった。

 

年始は実家でゆっくりした。庭で炭に火を移して肉を焼いたり、おせちを食べたり、車でイオンに出かけたりした。海で綺麗な石を拾って帰り、石焼き芋を作ったりした。

東京に戻る日、新幹線の切符は早朝でしか指定が取れなかった。僕は在来線の最寄り駅まで父に車で送ってもらった。早朝とはいえ、父なら普段通りの起床時間だった。送ってもらおうと準備をして外に出ると、父はなにやら困った様子。「ちょっと待っていて」と父が家に入ると、お湯を持って戻って来た。窓ガラスが凍っていたのだ。

お湯をかけて視界は少し良くなったが、まだ凍結により曇っているところが多かった。駅は近いけれど、少し心配だった。

車に乗り、フロントガラスに暖房を当てる。ワイパーを動かすと凍結したガラスがジャリジャリと鳴った。夜明けが遅い西日本の朝は東京よりも暗い。

車中で父と2人。僕は小学生の頃に父と散歩した事を思い出した。日曜の朝に学校の近くまで散歩して、学校の前の売店に入った。お店にはドライヤーの熱で書いた文字が膨らむペンが売っていた。僕はそのペンを父にねだった。母なら「無駄遣い」で一蹴するものを、父なら買ってくれるのを僕は知っていた。そうやってこっそり甘やかしてくれる感じが僕はとても好きだった。

 

駅に着いて電車を待っていると、父がロータリーに停めた車の窓の凍結をタオルで拭いているのが見えた。僕は父に無事に帰って欲しいなと思う。

電車がもうすぐ到着する頃、父は窓ガラスを拭くのをやめた。そして僕の待っているホームに近づいて来た。寒いから見送りなんていいのに。間も無く電車がホームに止まって、僕と父とを遮る形で停車した。電車に乗ると窓から父の姿が見えた。35歳の僕と、70歳の父。気づけば僕は、父が僕の父となった歳になっていた。父と子という関係は膨らむペンをねだった頃と変わっていないけれど、2人はすっかりおじさんとおじいさんであった。窓を挟んで手を振り合うと、電車はゆっくり発車した。朝の5時58分だった。僕はまた柿の種をお土産に遊びに行こうと思う。

 

いつか僕は、老いていく父に対して心をジリジリさせるだろう。想像するだけで僕は恐ろしさに耐えられない。その後にやって来る喪失に耐えられる自信がない。死にたいと思った時に現れては繋ぎ止めてくれる存在が、減っていくのに耐えられない。

ドラム式洗濯機

20時半。新橋から銀座線に乗ると車内はかなりの混雑。外国人観光客の集団は大きなスーツケースを持って車内の奥のスペースを占領している。奥に詰められない僕はドア付近のもっとも混雑する所に立つ事になり、後から乗車する人に背中を押される。次の停車駅の銀座では、おじさん2人がかなり大きな声で話しながら乗車し、僕の隣に詰めてきた。彼ら2人は多分酔っ払っている。

2人ともシワの寄ったスーツを着て、そのうちの1人は「あいつ若いのに何が楽しいって言うんだよ、人の言う通りにして。自分の人生だぞ」と、恐らく同じ会社の若い人に対する思いを繰り返し語っている。もう1人のおじさんは相槌を打つばかり。

日本橋で大勢の人が押し合いながら降車していく。おじさん2人も日本橋で降りていく。東西線に乗り換えるのだろうか。声の大きいおじさんは降りる直前にもう1度「自分の人生だぞ」と言っていた。

熱弁をふるっていたおじさんはきっと、人の言う通りにする人生を送ってきたのだと思った。彼の語調はこれまでの経験に基づいたアドバイスと言うより、そう出来なかった自分への呪詛のようだったから。僕はいつか、このおじさんみたいになるかも知れない。僕の声はおじさんよりも、全然小さいけれども。

 

彼氏が長期の出張から帰ってきた。早朝に日本に到着すると聞いていたので、早起きして味噌汁を作り、鮭を焼いた。前日に買っていた味のりをご飯に添え、青菜をさっと茹でてお浸しにした。

僕の家に着いた彼は、味噌汁に喜ぶ。葉物の野菜に喜ぶ。白ご飯に喜ぶ。一通り食べた後に彼はシャワーを浴びるために脱衣所へ。僕は湯船にお湯を張っている事を彼に伝えた。湯船のお湯にゆっくり浸かって、長時間のフライトの疲れを取ったら良いと思う。

日本で暮らす家を見つけるまでの間、彼氏は僕の家に泊まった。

彼氏はよくシャワーを浴びる。いつもは朝起きた時と、出かけて帰って来た時に。そして夜遅くには湯船にゆっくり浸かる。決して広くはない家で、生活する人が1人から2人に増えたけど、単純な倍計算よりも早く乾いたタオルが消費される。だから僕は頻繁に洗濯機を回す。彼氏の脱いだ服を拾い上げ、僕の脱いだ服と、たくさんのタオルを洗濯機に放る。アリエールとワイドハイターとレノアを洗濯機に入れる。

彼氏が僕の家を出て行くまではほんの1週間だった。ほんの1週間、簡単なご飯を作ったり洗濯をしたりしただけで、ちょっと疲れてしまった。恋人と長く同棲している友人を僕は尊敬する。僕は1人暮らしが長いせいなのか、今さら誰かのペースに合わせて暮らすのが無理なのかも知れない。

僕は彼氏より先にお風呂に入ろうと、脱衣所のドアを閉めていつも通り洗濯機のスイッチを押す。そして回り始めた洗濯機の音を聞く。ジャー、ゴゴゴ、バサッバサッ。洗濯機の音はドアの向こうの彼氏の生活音を消してくれる。バサッバサッ。濡れた洗濯物が回転するドラムに叩きつけられる様を見て、僕の心は落ち着きを取り戻す。

 

最近まで「獣になれない私たち」を見ていた。「私たち、誰の人生を送ってきたんだろうね」はガッキーのセリフ。ハッとした僕は、誰かの意に沿うように生きてきちゃったのかも知れない。

 

もうちょっと主体的な人生を送ろうと思う。自分の人生が他人事みたいにずっと思っていたけれど、その行く末が呪詛のような言葉を並べるおじさんであるならば、今のうちに修正したい。

24時間

週3回で働いている。派遣で月、水、金に8時間ずつ。

週に5日働くつもりがちょっとした行き違い、と言うか完全に僕の見通しの甘さによって週に3回しか働かない人になった。

初めの計画とは異なってしまったが、なかなかこの生活も悪くない。

さすがに週3回だと収入が心許無いので、単発で派遣を入れる。それを足すと大体週4回ほど。以前から思っていたのだが、週4勤務は体にとってもちょうど良い。

いずれは週5で働くようになると思うけど、1日働いたら1日、もしくは2日休みがあるこの生活の後、常勤に戻れるのか不安である。

 

「常勤なら収入がそこそこあって、通勤は30分圏内。職場の雰囲気が良く、18時に終了。忙し過ぎず働き易く、できれば土日休みで有休消化がしっかりされている所」と転職エージェントに条件を出したら、「どれか1つは妥協しないと難しいので優先順位をつけて下さい」と言われた。

だけど妥協なんて出来ない。妥協しなさいなんて、僕の人生なのにあなた何て事おっしゃるの。できれば働きたくないのに仕方なく働くというのが、既に大きな妥協ではありませんか。だから挙げた条件はどれも満たして欲しい。家と職探しには妥協をしない僕は待てば見つかるでしょうと、おそらく年明けに募集が出るでしょうと、まるで新築の賃貸物件を狙うかのように求人の予想を立てた。

 

そして現在。派遣先の人間関係はすこぶる良好。ありがたい事である。

比較的仕事に拘束されない今の生活をもうしばらく続けても良い気がするし、やや不安定な要素のある今の働き方は早めに抜けた方が良い気もする。

最近何が正解なのかが分からない。それからもう少し自分の仕事を好きになれたらいいのになと思う。

秋の訪れ

集合ポストを開けるとルミネからのダイレクトメール。年に数回あるルミネの10%オフのお知らせだった。

ところがルミネで買うものがない。買いたいものがない。新宿のルミネに入っている無印でタオルと石鹸を買いたいくらいだ。これでは10%オフの恩恵よりも交通費の方が高い。

ルミネの10%オフでテンションの上がっていた僕はどこに行ったのだろう。収入や暮らし方の変化もあるだろうけれど。年会費の1000円を払う意味はあるのだろうか。

 

iPhoneの画面にはラインの通知。遠くで暮らしていた彼氏が日本に戻ってくるようだ。1年の出張を終え、遠くの国から日本に戻る。離れていたけれど、3ヶ月に1度は一時帰国で戻って来ていた。

5年も付き合っていると、久しぶりの再開でも劇的なものは感じない。いわゆるトキメキみたいなものはどこかに行ってしまったのか、ああ元気そうで良かったねとか、そういった静かな感情だけが湧く。だからある時彼に

「僕のどういうところが好きなの?」

と非常に面倒な質問をした事がある。すると彼は「急にどうしたの?」と驚いていた。僕は急にでも無いんだけど、と思いながら繰り返し聞いてみた。彼は照れ臭いのか、全然関係の無い話をし始めて、結局答えてくれなかった。

大阪出身の彼は、東京よりも大阪を愛している。彼と一緒に大阪に行く時は、僕はうどんを食べたくなる。関西のうどんは美味しいのだ。大阪駅の広い地下道で僕はうどんが食べたい旨を伝えると、彼は「うどんねぇ、うどんもいいんだけどねぇ」と言う。僕はその反応を見て、彼がうどんを食べたい気分ではない事を知る。僕は今日うどんを食べられないだろう事を知る。

「カキフライ食べたくない?」と彼は言い、結局一緒にカキフライを食べた。入った洋食屋で提供されたカキフライは身が大きく、一口噛めばサクッとした歯ごたえの後にぷりっとした牡蠣の弾力。加熱しすぎて身が縮まる事もなく、上手に揚げられた牡蠣はぷっくりとジューシー。口に広がるこってりとした旨味。鼻に抜ける磯の香り。カキフライはとても美味しかった。

カキフライ美味しかったねで終われたらいいのに。厄介なのは僕が、目の前のカキフライよりも食べられなかったうどんについて考えるタイプだからだ。

 

音楽を聞こうとしたら「no disk」の表示。MDデッキが搭載された実家の車。MDなんてほとんど絶滅しているメディアだけれど、僕や兄が録音したMDが車の中には数個残っている。

いつか母が運転する車に乗っている時に「もう、嫌になっちゃうよね」と母が言い始めた。母は大概の事に対して「もう、嫌になっちゃうよね」と言っているので、今度は一体何だと思って聞いてみると「やりたい事がまだまだあるのに、やれないうちに死んじゃうと思うとなんだかイライラしてきちゃって」と言った。

僕は少し衝撃を受けた。加齢と共に興味とか好奇心は薄れてくると思っていたけれど、母の場合はそうでも無いようだ。

 

 

友人から絶交された事がある。小学校の時とかでは無い。社会人になってからだ。こんな年になってあからさまな絶交ってあるんだと驚いた。

何がきっかけだったのか、何が彼の気に触れたのか、果たしてそれが絶縁するほどのものだったのかは分からない。思い当たるのは僕がSMAPの歌詞にケチをつけるツイートをした事だ。すると「斜め上から物を言うのが面白いと思っているのかもしれないけど、全然面白くないしそういう人の心はつまらない」と、要約すればそんな事を当てつけのように彼はツイートし、その後縁を切られた。

彼の指摘はごもっともだった。そんな事は僕も存じ上げております。図星で悔しかったから、集合写真ばかりアップする彼を心が寂しい人と決めつけた。苦しい抵抗だった。

 

いろんな事に興味を失っていく事が怖い。好きが持続しなくなりそうで怖い。心がつまらなくなって行くのが怖い。そういった怖いものに向かって行くと思われる人生が、時々恐ろしい。だからせめて、誰かの好きや興味を否定しないようにしたい。

月には行かないようです

無職になった。

 

なんていう事だろう。

会社辞めますと言って自発的に無職になったのではない。倒産したのだ。

 

当日僕は13時−22時のシフトだったので、昼過ぎに職場に来てみると朝番の同僚がザワザワとした様子。

「大ニュース!言いにくい事なんだけど・・・。」

と同僚がもったいぶるので

「何?退職?それとも誰か死んだ?」

と聞いてみると同僚は急に顔を曇らせて

「死んだならまだいいよ。あいつ、殺してやりたい」

と物騒な事を呟き始めた。これはただ事ではない。

「倒産?」と聞くと同僚は頷いた。あいつとは社長(ゾゾタウンの社長に似ている)の事だった。

それでもその時点ではいつまで仕事は続くのかはっきりせず、明日社長が来て話をするとのことだった。

僕は倒産するんだったら昼にエビとブロッコリーのサンドイッチと紅茶ラテなんて買うんじゃなかったと思った。ジャムパンと水道水あたりにしておけば良かったのだ。無職を控えていながら贅沢が過ぎる。後悔を感じながらいつも通り午後の仕事を済ませると17時に全社員宛てにメールが届いた。

メールには明日はお店は開けず、パートを含めた全社員本部に集合。そこで社長から説明があり、明日お店を開けない事は絶対に口外しないで下さい、とあった。

事態は僕が思うより急を要するようだった。21時には本部の者がやってきて「もうお店には戻れません」と告げられた。そして荷物をまとめて夜逃げのようにして店を出た。

たった4ヶ月ではあったけど、スタッフ間はとても仲が良かったから寂しかった。

 

翌日、本部で全社員と社長、そして弁護士が集まった。

社員の前で謝罪する社長の顔はこわばっていて、樹皮みたいな色をしていた。

僕は説明の間ずっと社長の顔を見ていた。社長は全然ゾゾタウンの社長に似ていなかった。もちろん「I choose to go to the moon」とも言わなかった。

社長の説明の後は弁護士が今後について説明をし始めたが、結局は債権が整理されないと何とも言えないという、ふんわりとした説明に終わった。

弁護士の後ろで存在感を無くした社長は、立ち枯れた木のようだった。

 

入社当時からボーナスが出るか不安だった。僕のような数字に強くない人でもちょっとした概算ですぐに赤字だろう事が分かったからだ。

だから倒産の結果には驚かなかった。僕が驚いたのはそのあまりに急な決定についてだった。仕事でお世話になった人がたくさんいたのに、挨拶もできないまま夜逃げ同然で終わってしまったのが心残りである。信頼関係を築く事が大事な職業なのに、それに背く事をしてしまった。

せめて最後は綺麗に終わらせたかった。無念な気持ちが湧いてきたけれど、立ち枯れた木にはもう何も届かないように感じた。

 

そんな訳で転職活動を始めた。この前したばかりなのに・・・。

失業手当をもらうためにハローワークに言ったら3×2.5の証明写真が必要との事だった。履歴書用の4×3とサイズが異なる事に軽く怒りを感じたが、履歴書用の写真を3×2,5に無理やりカットし、結果ほぼ顔だけしか写っていない写真を提出した。

ボーナスが出たら買おうと思って我慢していたものも全て買った。ある程度のタイミングで就職して再就職手当をボーナス代わりにしようと思う。

白湯とサクレレモン

「お腹が冷えてますね」

それは通っている鍼灸院の先生に毎回言われる言葉だ。

「夏なのにこんなに冷たいのは珍しいよ。冷たいものをよく食べます?」

と聞かれたから、アイスが好きですと答えた。特に夏はサクレレモンで、チョコモナカジャンボは通年好きですと、聞かれてもない事も答えた。

「冷たいものを食べ過ぎると内臓が疲れるよ。冷たいものを体温まで上げて消化しないといけないからね。アイスは結構な頻度で食べるの?」

先生は聞きながら僕の冷えたお腹に鍼を刺し、火のついたお灸を置いていく。

「週に2、3回くらいかな」

と答えると先生はやや驚いた様子で、それは多すぎだから控えなさいと言った。

お腹に置かれたお灸が熱い。これは罰だろうか。僕は嘘をついた。本当はほぼ毎日食べている。だけど毎日食べていると答えなくて本当に良かったと先生の驚きっぷりを見て思った。

お腹を温めるために朝に白湯を飲むと良いと言われたのでしばらくやってみた。サーモスの水筒にお湯を入れて職場に持って行ったりもした。白湯を飲むとかモデルみたいではないだろうか。道端のダレカシラがやってそうである。

アイスも控えた。僕はサクレレモンの細かい氷片を奥歯で噛みつぶす時の、ガリガリシャリシャリキュウキュウといった感じの歯ごたえや、爽やかな酸味と共にやってくる瑞々しい甘みや、スライスされたレモンを氷と一緒に口に入れた時の幸福感などとしばらくの間距離を置いた。

 

しかしどうだろう、昨日今日の涼しさは。アイスが一番美味しく食べられる時期が終わってしまう。

暑い夜にベランダの窓を開け、足を外に投げ出しながら食べるアイスが一番美味しいと思っているのに、僕はお湯なんかを飲んで一番の時期を逃してしまった。そしてサクレレモンは製造中止になってしまった。

僕は慌ててアイスを買いに行った。もうガリガリ君でもしろくまでも構わない。お腹が冷たいから何なんだよ。勢いよくアイスの包装を剥ぐ。ベランダに投げ出した足の寒さが夏の終わりを告げている。