愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

年末年始

寒い夜にトイレに行きたくなって目が覚めた。

その日は後1週間くらいで誕生日を迎える日で、39歳になろうとしていた。

この調子じゃ30代もあっという間に終わっちゃうねと便座に腰掛けながら思っていたら、ふと怖くなった。30代があっという間なら、40代はさらに早く感じるだろうし、50代、60代、年金心配、貯蓄は足りるだろうか・・・、死。である。

既に用は足し終えているのに、なんとなくそのまま寒いトイレで考え込んでいたら人感センサーのライトが消えて真っ暗になった。

僕はでも、時の早さだったり、平均寿命を考えたら人生も後半に差し掛かっている事に驚きはしたものの、暗い気持ちになるだけではなかった。数年前は自分は長生きしないだろうと思っていたけど、年金や老後の心配とかをするようになったんだなと。色々考えるのは面倒だけど、良かったとも言える。

 

年末は実家に帰った。急に走り出しては止まるを繰り返す、気まぐれで可愛い犬の散歩をしていたら思いっきり足をグネッてしまった。田舎の道は基本的に足元がデコボコしている。

ただの捻挫でしょと湿布を貼ったり冷やして対処していたらだいぶ痛みが引いてきたので、びっこ引きながら東京に戻ってきた。その後普通に仕事もしていたが、痛みが治りきらないので念の為病院に行ったら骨折していた。初めての骨折、初めてのギプス。年始からこれって前厄だからだろうか。

ギプスを巻かれて待合室に戻ったら、おばあさんが席を譲ってくれようとしたので断った。捻挫の治りかけと思って受診しただけなのに、ギプスは大袈裟にも思えた。

ただこれはチャンスとばかりに翌日の仕事は休んだ。おばあさんが席を譲ろうとするような大袈裟なギプスは、仕事を休む口実に使える。

夏の台風

バンドをやっている友人がライブをやるというので、共通の友人2人で見に行った。

その日は土曜で台風が近づいている日だった。僕はライブを見に行くために元々19時までのシフトだったのを17時半までのシフトに変えてもらった。ライブの開場は18時なので、急いで向かえば間に合う時間だ。結局僕が急いで退勤した後、職場は台風の接近に伴って18時で閉店したようだった。

新宿三丁目の駅で降りると地下道が広くなったように感じた。というか、出口の数が増えたように思った。初めて使う出口から地上に出ると、雨はそれなりに強くなっていた。一緒にライブを見る友人2人は既に会場に着いているようで、僕は途中にあったローソンで缶に入ったカフェラテとクリーム玄米ブランを買った。仕事の後はお腹が空いている。

ライブハウスはビルの地下にあり、傘を畳みながら階段を下りると受付があった。受付の女性にお金を払うとドリンク券と使い捨てのペンライトを渡された。

会場の重たい扉を開けると、向こう側で押し込められていたような空気が一斉に出てきた。扉の向こうには人が沢山入っていた。先ほど渡されたドリンク券で飲み物でも頼もうと思ったが、ドリンクカウンターの前には並んでいるのか、それとも単に友人同士で集まっているのか分からない集団がいくつかあり、僕は面倒になってドリンクの交換は早々と諦めた。

先に入っていた友人2人が一番前に立っているのを見つけると、人をかき分けて合流した。ドラムを担当する友人のバンドの出番はまだ少し先で、その前のバンドの演奏を一緒に見た。おそらく僕よりもだいぶ若い人たちが5人で演奏していた。好きなものが同じ人が集まって、楽しそうにやってる様子がきらきらしてて眩しかった。彼らに向かって受付で渡されたペンライトを一生懸命振ってみた。光らないペンライトを振る僕たちに、隣に立っていた人が「折ると光りますよ」と教えてくれた。隣の彼は寡黙そうでお洒落な人だった。僕はお洒落な人が好きである。早速細いチューペットのような棒を両手で握るとパキッと軽い音がして、ペンライトはじわじわと黄色く光り始めた。

ペンライトがしっかり光る頃、友人のバンドの出番になった。友人が叩くドラムの音が好きだったし、すごく上手いなと思った。久しぶりに聞けて良かったと思った。僕は途中で何度も「素敵!」と心の中で叫んだ。

そうやって大学の頃からの友人と一緒に、同じく大学の頃からの友人のバンドを聞いていたら、急にこの中の誰かが欠けたら悲しいだろうなと思った。僕は誰かと付き合えば別れる事を考えてしまうタイプだから、楽しい時に限ってそんな想像をしてしまう。

友人の出番は20分くらいだったと思う。ライブハウスから出る時に、今日見に来れて良かったなと思った。外はまだ雨が降っていたけれど、台風はどこかに行ってしまったのか、それほど強い雨ではなかった。一緒にライブを見た2人とすぐに入れそうな居酒屋に入り、ご飯を食べた。

新宿駅に向かう途中、駅周辺が変わった事について話した。こんな建物は前には無かったとか、こんな所にタリーズが出来ている、などと。

駅に着いて地下道に入ると、メトロで帰る人、JRで帰る人、小田急で帰る人とで分かれる道があった。そこは以前、帰るのが惜しくて結局オールする事を決める場所だった。

「よくここでバイバイしたけど、結局そのままオールしたよね」

そこは何て事のない、昔と変わらず白くて殺風景な通路だった。

真面目で熱心

4月から英語の公開講座を受け始めた。

Zoomで行われるその授業はカナダ人の先生が教えてくれるのだが、初回の授業で日本語禁止と言われて本当に焦った。

海外旅行に行っても「Do you accept credit card?」と「Could you take a picture?」くらいしか話せないような語学力なので日本語使用を禁止されたらほとんど何も話せない。

初回の授業ではグループに分けられ、女子高生と同じグループになった。高校2年生だという彼女は港区に住んでると言い、「Great!」と僕が答えた。そして彼女は海外に住んでいる従兄弟とオンラインで英語で話していると言うので、また僕が「Great!!」と答えた。そして彼女の母は看護師をしていると言うので更に「Great!!!」

ひたすらグレートを発する初回だった。彼女からグレートbotだと思われてもおかしくない。

初回から心が挫けたが、計12回の講座で3万を払っているので1回も休むわけにはいかない。僕は貧乏性なのだ。コンビニでコーヒーマシーンが抽出する最後の1滴を紙コップに落とし込みたいとしばらくカップを置いて粘るような僕の強い貧乏性は、講座を休みたい僕の怠惰に勝る。カナダ人の先生は「遅刻が嫌い」と言っていたので遅刻も絶対に許されない。

そして7月になり講座は残り1回となった。上達はあまりしていないと思うが、英語を発する時の恥ずかしさは始めの頃より無くなったと思う。

クラスメイトから最後のレッスンが終わってからも、有志で集まって英語を話す機会を作りませんかと声をかけられた。彼は僕を含めて2人に声をかけていて、どうして僕が誘われたのか聞いたら「真面目で熱心そうだから」と言っていた。なんだか申し訳ない気持ちになった。

 

6月は五島列島福江島に行った。川口春奈さんの故郷である。

福江島は本当にのどかで良いところだった。レンタカーを借りて島内に多くある教会をめぐり、自然豊かな島のあちこちを散策した。

魚もうどんも、野菜もおいしかった。農協で野菜を買い、トランクに詰めて持って帰った。農協では魚も売っていて、魚の安さに感動して値札をカメラで撮ったりした。

福江島に行く前はレンタカーの運転が不安だった。実家に帰れば車があるのだが、自ら進んで運転しようと思えない。事故を起こしそうで怖いのだ。

しかし島では交通量が多くないし、歩行者も少ないし、市街地を離れれば信号もないので運転は楽だった。3日目には運転が楽しくなってきた。実家に帰ったらまた運転したいと思った。

日頃運転する人に「運転得意?」と聞くと大概「あんなのは得意とかじゃなくて慣れ」と言われる。

僕は運転が苦手だと思っていたけど、勝手に苦手だと思っていただけかも知れなかった。多分そうやって、勝手に苦手だと思って避けていた事が今まで沢山あっただろうなと思う。避けていた英語も、実は得意なのかもと思いたい。

同居

姉との同居が終わった。

姉の家のリフォームが終わるまでの2ヶ月、僕は姉と同居をしていたが、リフォームは無事に終わり姉は生まれ変わったピカピカな家に戻っていった。

始めはあまり上手くいかないかと思った同居は、思っていたよりずっと快適だった。

仕事から帰ると姉は食事を用意していてくれて、一緒に食べた。帰ってからすぐに美味しいご飯が食べられるのが嬉しかったし、仕事で嫌な事があった時はご飯を食べながらその話を聞いてもらった。

僕の仕事が休みの日は朝食や夕食を作ったりした。姉は僕の作り慣れた、僕は飽きている味付けの食事を美味しいと言った。

快適で有り難いなと思っているうちに2ヶ月が経ち、また一人暮らしに戻った。

元の生活に戻り、仕事から帰った時に寂しいと思った。録画していたドラマを見終わった後の静けさにも、食事を終えて1人分の食器を片付ける時にも寂しさを感じる。

今まで寂しさなんて感じなかったのに。夜が長い。

もしかしたら僕は今までずっと寂しかったのかも知れないと思った。肩こりが慢性的になると痛みを感じなくなるように、慢性的な寂しさがあったのかも知れない。

 

以前長期の海外出張を終えた彼氏が僕の家に2ヶ月ほど住んでいた事がある。

彼氏が家にいる間、僕は食事を作り、掃除をし、洗濯をし、仕事の疲れもあって少しの事でもイライラしていた。彼氏もイライラしている僕と一緒にいたくないだろうし、同居はしないほうがお互いのためだなと思った。

朝食を2人分作っている横で彼氏がカップ焼きそばを作り始めた時は本当に別れようと思った。

そんな経験があるから、僕は誰かと同居するのは無理だと思っていた。一人暮らしが長くなると自分なりの暮らしのルールが出来てくるし、相手には相手のルールがある。

しかし姉とは上手く同居出来たと思う。快適だったのは居候の身だからと姉が僕に遠慮していたためと、元々実家で一緒に暮らしていたからかも知れないけれど。

家事への感覚が似ている人との同居はストレスが少ないように思う。結婚などでパートナーと同居をしている人は、一緒に暮らす中で感覚をすり合わせていく事が多くあるだろうけど、あまり感覚が合わない人との同居は大変だろうなと思う。

姉に結婚の予定があるかを聞いたら「無いよ。嵐の大野くんと結婚できるなら別だけど」と言っていた。老後は姉と暮らすのも楽しそうだ。

ピカピカなシンク

12月から姉と同居している。

 

姉の家がリフォームする事になり、リフォームが終わるまでの2ヶ月間同居するようになった。

姉は最低限の荷物を持って家に来た。布団、少量の着替え、キャンプ用の小さな折りたたみテーブル、洗面用具。そして飼っているチワワとドッグフード。

普段テレビを置いてある部屋からテレビを移動させ、姉の荷物と僕の折りたたみ椅子を置いたらコンパクトな生活空間が出来上がった。

 

僕は大学を卒業してからずっと一人暮らし。家に一人でいるのに慣れ過ぎて、彼氏がゴールデンウィークなどで長期の泊まりに来ると3日目くらいで息が詰まって帰って欲しくなるタイプだ。実家でかつて一緒に暮らしていた姉とはいえ、2ヶ月の同居はストレスになるかと思った。

 

仕事をしていると姉からLINEが来た。

「夕飯は鮭のホイル焼きと豚汁でーす」

帰って食事の準備がされていると本当に嬉しい。いつもなら仕事の後は疲れながらコーヒーを飲み「帰ったら何作ろう…」と悩んで帰宅するのに、ホイル焼き食べたさに真っ直ぐ家に帰るようになった。まるで昭和の妻帯者になった気分だ。豚丼皿うどんか野菜と肉を割下で煮る何か、その3つが高確率で登場する普段の食生活に姉が来た事で新しいパターンが生まれた。先日は家で眠っていたタジン鍋で蒸し野菜を作ってくれた。多分僕は姉に胃袋を掴まれている。

帰って食事を一緒に食べ、風呂を済ませて洗濯機を回す。そしてお茶を入れてお菓子を食べ、洗濯物を干して歯磨きをして寝る。

姉は持ってきた服が少量のこともあるのか、毎日洗濯機を回す。乾燥機能も付いているのに浴室に干してサーキュレーターを回す。すると翌朝には大体乾いている。洗濯物を溜めずに毎日洗う方が干す量も少なくてラクなのだそう。

姉は夜お皿を洗った後に排水溝に取り付けたネットを交換し、そのままシンクと排水カゴも洗い、蛇口も拭く。僕が面倒じゃないかと聞いたら、大した手間じゃないし習慣だから気にならないとの事。

多分姉は僕の家に居候しているからと、気を遣ってくれているのだろう。姉の気遣いにより同居は極めて快適である。

 

僕より少し早く仕事納めをした姉は、一足先に実家に帰っていった。

僕は姉のいなくなった家で洗濯機を回し、乾燥機能は使わずに浴室に洗濯物を干した。そして排水ネットを毎日交換し、シンクと排水カゴも毎日洗っている。姉の習慣を少し引き継いで、僕はほんのり姉ロスである。来月の姉の誕生日にはタジン鍋を買ってあげようと思う。

秋の味覚

「イベルメクチンを買ったので送ります」と母からLINEが来た。

母は一体どこから情報を仕入れてくるのだろう。それより早くワクチン打てばいいのに。

 

年始に母から小包が届き、開けてみると中には肉や米と一緒にアガリクス茸が入っていた。アガリクス茸はだいぶ前に「ガンに効く」と言われ一時期ブームになったものだ。

僕は正月なので良い肉を買ってすき焼きを作ろうとしていたのに、突然のアガリクス茸の登場で気分が落ちた。

「荷物届きました。ありがとう。だけどアガリクス茸は要らないよ。高いでしょ、あれ。しかも効果は認められてないよ。本当に効果があるんだったら既に保険適用で承認されているはずだよね。病気を治したくて藁にもすがりたい人の気持ちを食い物にする商売に1円たりともお金を落としちゃダメ」

と言いたいところだったが、正月なので堪えた。薄褐色の乾いたキノコは僕の目につかないようビニールに包まれ流し台の奥に投げ入れられた。

すると翌月、さらに倍くらいの量のアガリクス茸が送られてきた。調べた事はないが恐らく安くはなさそうなキノコが、「今月分です」というメモと共に小さな段ボールに詰められて送られてきた。やはり送られてきた時にすぐ要らないと断るべきだった。

一度も封を開けていないままのキノコが流し台の奥にあるというのに、更に追加で送られてくるキノコ。この調子だと僕の家はすぐにキノコ屋敷になってしまう。エリンギやしめじだったら素直に嬉しいのに。

試しに一度服用してみようと付属の説明書を読んでみたら

「1日量10gを800mlの水で1時間以上浸し...」で始まったので早速挫けた。面倒臭い。しかも続けて「火にかけて沸騰したら弱火にし30〜40分煮詰める」とあった。それだけ時間があったら柔らかい角煮が作れる。

心の中で毒づきながらキノコを煎じると部屋がキノコの匂いで充満した。出来たものは当然だが、キノコの煮詰まった汁だった。そのまま飲むには飲みにくいが、ふやけたキノコはエリンギの食感に近く、汁はだしの素と醤油を入れたらお澄ましになりそうだった。

後日姉に怪しいキノコが大量に送られてきて困っている旨を伝えたら

「どうせ要らないんだったらちょっと貰おうかな。炊き込みご飯にしたら美味しいかも」

と言われた。姉は他人事だと思って気楽だなと思った。しかし確かに細かく切って炊き込みご飯にしたら食べやすそうだ。その一瞬アガリクス茸のレシピを考える人になろうかと思ったが、全てエリンギで美味しく安く代用できるのに気づいて止めた。

アガリクス茸はその後、食べるとお腹が痛くなると言って送るのを止めてもらった。送られたキノコは結局箱に入ったままベッドの下に置いてある。炊き込みご飯が一体何度作れるだろうか。秋になったら一度くらいは作ってみようと思う。

初めてのダイエット

太った。

年始に体重計に乗ったら65キロ。大学卒業からずっと58キロで、昨年60キロに増えたと思っていたら更に5キロの増加である。1年で5キロも増えていたら7年後に100キロだ。

中学高校で部活をやっている時は52キロだった。当時はさすがに痩せすぎで校庭の水飲み場で水を飲んでいたら知らない女子に「ほそーい」と言われた事がある。確かに現在の僕が見ても「ほそーい」と言うだろう。

彼氏は僕の体重増加を見るとすぐに筋トレの動画のリンクを送ってきた。そしてヨガマットがプレゼントされた。筋トレをして痩せなさいというメッセージだろう。

僕は無印のローテーブルをメルカリで売り、代わりにヨガマットを敷いた。楽天で安価なプロテイン3キロも買った。安価だからか水に溶けにくくむせやすい商品だった。筋トレの環境は早くに整ったと言える。

筋トレと同時に食事も気をつける事にした。具体的には間食を控える、米1食分を8割程度に減らして1食分ずつ冷凍、パンは6枚切から8枚切にし、意識的にタンパク質の摂取を行なった。

 

摂取カロリーを消費カロリー以下にすればすぐ痩せるでしょと思っていたが、3ヶ月経っても体重は変わらず。むしろ66キロに増えている時もあった。

成果は3ヶ月では出ないかと思ったが6月になっても体重はあまり変わらず。成果が出ないのはなかなか辛いもので、用意されたヨガマットは昼寝に最適なマットになりつつあった。

筋トレは好きではないが、やり終えた時は自分を褒めてあげたくなる。これは手軽に自己肯定感が得られるかもしれない。しかしサボると今度は「どうして少しの努力も出来ないんだ」と自分で自分を責めて辛い気持ちに。筋トレを続けている人は素直にすごいなと思う。そしてツイッターでダイエットに成功している人を見ると「いいね」を連打するようになった。

 

そして8月。体重は朝は63キロ台になった。しかし測るタイミングで65キロに増えるのでほとんど誤差範囲かも知れない。むせるプロテインはまだ残っていてリビングの場所を取っている。ダイエットはもう少し(細々と)続けてみようと思う。