夏休み
お盆休みに実家に行ってきた。
実家に帰ると本当に暇である。
田舎では車が無いと駅に行くのでさえ困難なので、車の運転が得意じゃない僕は元々の出不精に拍車がかかる。
さらに掃除も洗濯も食事の準備もしなくていいので、結局2泊したうちのほとんどを飼っている老犬の側でゴロゴロと寝て過ごした。
つまり新幹線で往復3万以上かけて寝に行ったのだ。
ご飯食べる。寝る。オリンピック見る。ご飯食べながらオリンピック見る。寝ながらオリンピック見る。
以上をランダムに並べ替えたものが実家でのおおよその1日の流れだった。
他にやったことといえば、写真を見ることだった。
実家では写真を整理していたのか、重くてかさばるアルバムから写真だけを抜き出し、ダンボールにまとめていた。
ダンボールの中の写真は、時系列やイベントで整理されているわけでもなく、法則ゼロでバラバラと輪ゴムで束ねられ、なぜか所々スプーン印の砂糖の袋に小分けされていた。
適当に写真の束を取り出して見てみると、兄、姉、僕の赤ちゃんの頃の写真や、昔に住んでいた家で祖父母一緒に撮った写真、母の社員旅行、どこかでバーベキューに行った写真、犬の写真が出てきた。
北海道に行った時や、スキーに行ったときなど、どこかに出かけている写真もたくさん出てきた。
父はあまりアクティブな性格ではないし、母は仕事と子育てで疲れている印象だったのだが、思ったよりも僕の家族は色々なところに出かけていたのかも知れない。
ただ法則ゼロで束ねられているせいなのか、僕の記憶力の問題なのか、一体どこに行ったのか分からない写真がいっぱいあった。
後になってこんなに忘れているんじゃ、親も連れて行き甲斐がなかったと思う。
ただ、多分尾瀬であろう写真や、きっと伊豆であろう写真や、よく分からない広い公園の写真の中で、僕はまあまあ楽しそうに笑っている。
多分、どこだって良かったのだ。幼い頃は特に。どこに行ってもほとんど等しく楽しかった。
行く場所に大した意味は無かったのかも知れない。
パンについて
僕はパンが好きだ。
最近ではライフスタイル提案系な雑誌でもパンの特集が組まれていて、なんだかパンってお洒落になったなと思います。
5年前くらい前、狂ったように出会いのアプリをやっていた頃(その後も狂った状態だったが)、アプリで知り合った人に休日の過ごし方について聞かれたので
「自転車でパンを買いに行って公園で食べたりしてるよ。」
と答えたらものすごく引かれた事がある。
えっ、何それ、すごく寂しい、引くわー、早く帰りたい、といった感じである。
もしも今、同じシチュエーションで同じように答えたら、もう少しお洒落な印象を与えられたかも知れません。
ところで高いパン屋って結構多くないですか?オシャレ料でも発生しているんでしょうか。
雰囲気だけってお店も多いように思います。
社会人になって少しは自由に使えるお金が出来たとはいえ、親から倹約を骨の髄まで叩き込まれた僕としては、どうしても値段は気になるところです。
お店の名前を挙げると悪口になるので伏せますけど、例えば松陰神社前のブーランジェリー○ドウなんかは、美味しいっちゃ美味しいけどちょっと高い。高くて美味しくなかったら詐欺だよなーと思ってしまいます。
そうやってモヤモヤしながら食べたハニートースト280円は、僕の中でベストオブモヤモヤパンです。
・・・、結局悪口になってしまった。接客はとても良いです(フォロー)
僕のお勧めはベタですが、代々木上原のカタネベーカリーです。何を買っても美味しいのにお値段も抑えられていてとっても良いです。
買ったパンを代々木公園で食べたりすれば、それこそライフスタイル提案系な過ごし方も出来てお勧めです。
あとは西荻窪のそーせーじ、富士見ヶ丘のヨシダベーカリーもお勧め。
美味しくて気取ってなくて、尚かつお値頃なパン屋が好きです。
インドネシアの記憶
初めて海外旅行に行ったのは15歳のときだった。
高校の入学を控えた少し長い春休みに母と姉と。どういう流れでそうなったのか全く覚えてないのだが、バリ島に1週間というフリープランが多めのパッケージ旅行だったと思う。
ところで母も姉も、もちろん僕も、リゾートや海が特別好きというわけではない。
行かなかった父や兄でさえ、海を好む感じでは無い。今思い返してもなぜ旅慣れない僕の家族がバリ島を選んだのか、全くわからないのである。
デンパサール空港に着き、飛行機から降りた時の香辛料の香りはよく覚えている。日本のどこにいても嗅いだことのない匂いだった。
バリ島のホテルに着きチェックインをした後、僕は部屋にトロピカルな色合いの飲み物が置いてあるのに気づいた。
「ウェルカムドリンクだね」と母か姉が言ったと思う。ウェルカムドリンク!聞きなれない言葉の響きに僕は興奮した。移動の疲れも手伝って僕は一気にそれを飲み干し、そしてしばらくして激しく下痢をした。
ウェルカムと言いながらも下痢を負わせるトロピカルドリンク。彼らのやり方は早よ帰れという意味を込めてぶぶ漬けを勧める京都人とどこか似ているかも知れない。
とにかくその後3日くらいはホテルのトイレの壁が僕にとってのバリ島の景色だった。
下痢だけでなく高熱も出た。寝ている時に聞いたのは、スコールの雨の音とヤモリの鳴き声だった。そして時々、1階にあったプールからの日本人観光客の声が聞こえてきた。
僕たちの泊まっていたホテルには日本人のグループが他にも宿泊していた。僕の部屋の隣にはそのグループの何人かが泊まっていた。初日はかなり賑やかに声が聞こえていたのだが、日を追うごとにそのグループの声は聞こえなくなっていった。
ホラーのようにも聞こえるが、後にその事について母は
「隣の人たちも水に当たって体調崩したみたいよ。」
と言っていた。その時僕はその言葉を信じたのだけど、母は自分の憶測をあたかも事実かのように話す癖があるので、それが本当かどうかは分からない。
ようやく体調が戻ってきた頃、まだ観光が全くできていない僕を不憫に思ったのだろう。母はホテルが斡旋するオプショナルツアーに姉と僕を連れて行った。ツアー先のガイドは下痢でやつれた僕を労わってなのか、ものすごく優しかった。
バリ島の伝統的な踊りを見た翌日、今度は姉が体調を崩した。姉も初日に弟が下痢でダウンしたりで疲れていたのだろう。その日はキンタマーニ高原という所に行く予定だったのだが
「KINTAMA高原なんて行かない!」と姉は言い、結局母と2人で行く事になった。
ところで僕は高原の景色をほとんど覚えていない。それよりも姉があんなにも明瞭にKINTAMAと発音した事の方が衝撃だった。なにしろ僕はたったの15歳だったのだ。
水当たりを起こしてからはすっかり水に敏感になっていたため、日本に帰った時は水道水が飲めることのありがたさが身にしみた。
先日タイから帰ってきた時は日本の無味無臭な空港がつまらなく感じたが、当時はそれが清潔な香りのように感じられた。
僕は帰宅するなり水道の蛇口を勢いよくひねった。いかにも消毒されていますといったような塩素の匂いを心地よく感じながら、喉を鳴らして何度も飲んだ。
タイに行く
タイに青年海外協力隊で行っている友達に会ってきました。
1年近くぶりに会う友達はなんと言うか、日に焼けた以外は相変わらずといった感じで安心。ただ現地でタイ語を話している友達の姿は、日本で見るより頼もしく感じられました。
タイには大学の頃からの友達4人と一緒に行きました。どこに行って何をしたとか、そういうことは写真を見返せばいいので書きません。
ただ皆30過ぎのおじさんなのですが、友達になって10年以上経っても一緒に旅行に行って楽しく過ごせることが、何より嬉しかったです。
現地で感じたのは学生の頃のような浮きたつ気持ち。大学生の時に夜通し遊んだ後、背中を丸めた勤め人が吐き出される新宿駅の人の流れに逆らって、妙なテンションで帰路に就いた時のような気持ちに近かったような。(例えがあまり良くない)
なんだか自分ってまだこんなにふざけられるんだって思いました。ふざけ通した4日間だったのです。
日本に戻り羽田から京急の電車に乗る時、日本って綺麗だけど無味乾燥な国だなって感じました。日本は大好きだけれども。
タイの熱気を思い出そうとする。タイの電車、ホテル、商業施設の寒いくらいの空調を思い出そうとする。
帰ってからガパオライスとトムヤムクンを作ってみた。いかにも「似て非なるもの」といったものが出来上がった。タイのうだるような暑さも相まって、あの4日間は夢だったようにも感じられる。
理由
恋人が神戸に行く事になりました。
年末あたりから転職活動を始め、神戸の会社も受けているのは知っていたから「受かったら僕も神戸に行っちゃおー☆」って感じの軽い気持ちでした。
きっと受かるだろうなって思っていたから、suumoで神戸の物件を検索したり、神戸の求人を調べたり、Googleマップのストリートビューで神戸の街を散策したり、まあ気持ちは既に神戸に移り住んでいたのです。
恋人について行くような健気で馬鹿な事もしてみたかったし。
東京に住む理由なんて友達が近くに住んでるからってだけだし。
なんだか神戸も住みやすそうだから、いいかなって。
ただいざ決めるとなると少しもやもやする。
新年会で会った友達に神戸に引っ越すかもと伝えたら、寂しくなるねと言われた。
その言葉をきいて「あっ」と声が出そうになった。
僕だって寂しい。
思ったよりも友達が好きな僕は、そんな理由で東京に暮らしているのだ。
熱量
日記をつける。
僕は32歳なのですが、20歳そこそこの時はmixiがはやっていた頃で、mixiで日記を書いていました。
書いていた内容は、多分今見返せば、例えば失恋した後の過剰に叙情的なポエミィ日記のように恥ずかしい内容もあったと思うけれど、ちゃんとその時に感じた事を文章に残して、しかも臆せず公開していたのだから、今になってみれば信じられない事をしていたと思います。
と言うか、失恋した割にポエムを考える余裕があるのが自己陶酔気味で鬱陶しい。
だけどそんな恥ずかしい文章も、今は大切な物のように思います。後に恥ずかしくなるような当時のその熱量が、今はもう無い事を知らせてくれるのだから。
今はさすがにポエミィな文章は書かないと思うけど、見返して恥ずかしくなるような超個人的な事を、ひそかな熱量を持たせて日記として残したいと思います。