愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

小松菜スムージー

ICUには1泊の予定だったが、病棟のベッドの関係もあり2泊する事に。その後車椅子に乗って一般病棟に移った。一般病棟では手術前にお世話になった看護師さんに「お帰りなさい、膀胱残って良かったですね」などと声をかけてもらって嬉しかった。

病棟では朝と夕方に担当医が状態を見に来てくれ、朝から夜まで看護師さんの手厚い看護を受け、車椅子に乗ってレントゲンを撮りに行ったり、僕の手術のためになんて多くの人が助けてくれるのだろうと感動した。

手術から4日が経ち、僕は病棟内を歩いていた。点滴太りのためにお腹が重く、お腹を抱えて妊婦のような歩き方だったと思う。自動販売機で水を買おうとしたら小銭が落ち、拾うのにお腹が邪魔をして大変だった。妊婦さんが物を落としたら拾ってあげようと強く思った。まさかの擬似妊婦体験だった。

術後は尿道カテーテルが留置されているので排尿はトイレに立たずにできるのだが、排尿後に膀胱に痛みを感じた。膀胱は手術の時に少し切って縫い合わせたようなので、その傷の痛みと思われた。カテーテルが挿入されている先から少し尿が漏れる感じもあった。

手術から6日目の早朝、お腹が張り裂けそうな強い痛みが起きた。痛み止めを出してもらうが、またすぐに痛みが出てしまう。痛みで汗が吹き出し、タオルを頭にかけて胸の前で手を組んだ。痛みが落ち着くようにと祈っていた。すぐに入棺出来そうなポーズだった。先生がやって来て超音波の検査をしましょうと言った。強い痛みを抱えながらやっとの思いで処置室までたどり着き、お腹の状態を診てくれた。するとぼくのお腹は腹水でパンパンとの事だった。どうやら尿のカテーテルがなぜだか詰まっていたようで、排尿できなかった尿が膀胱の傷から漏れていたようだった。腹水は次第に吸収されるようで、様子を見る事になった。

この頃僕の浮腫みはMAXで、体重は術前より12キロ増えていた。その夜用を足そうとトイレに行ってオムツを下げたら僕の陰部はツチノコのようになっていた。陰部も浮腫むんだ!という衝撃。確かに歩く時にオムツにパットを挟んでいるような感覚があったのだが、それはパットではなく浮腫んだ陰部だった。普段は行儀よくパンツの中にちんと収まっているそれは、ふてぶてしい様子でそこにあった。

そして翌日の早朝、また強い痛みがあった。昨日よりも酷いかも知れない。昨日とはまた違ったお腹の痛み。何かが産まれるかと思うような強いお腹の張り。同様に入棺ポーズで痛みに耐えた。そして再びの超音波検査。すると今度は腹水ではなくガスが腸にたくさん溜まっていた。腸の動きがほとんど無いとのことで腸閉塞と診断され、絶食が始まった。

「嘔気はある?」

と何度か聞かれたが、嘔気は無かった。ただこの状態だと嘔気が出て苦しくなるとの事で、すぐに僕の鼻から胃まで減圧チューブを入れられた。チューブからはすぐにガスと緑の液体が排液された。緑色は胆汁の色だそうだ。チューブは3日留置され、小松菜スムージーのような液体が1リットルほど排液された。

腸閉塞と診断された翌日は2日ぶりに痛みの無い朝だった。痛みが無いってなんて素晴らしい。腸閉塞の痛みは傷の痛みよりもずっと辛かった。傷の痛みは、お腹を切ってるからそりゃ痛いでしょうよと納得のできる痛みだが、腸閉塞や腹水の痛みは体験したことのない内臓系の痛みである。痛みだけでなく不安も伴った。

僕の入院は3週間の予定で、手術した箇所の経過は良好だったのに腸閉塞が治らず退院が伸びた。腸閉塞と診断されて1週間絶食し、重湯から食事を再開したが検査の結果が良くないために再び絶食になった。そしてまた重湯から食事を再開。現在ようやくお腹の調子が戻って来て退院が見えてきたところだ。

早く退院したい。そろそろ外に出たいし、病室の隣のベッドのおじさんは僕がちょっと物音を立てると舌打ちをして「うるせぇな」と言ってくる。そのくせ夜中は「痛ぇ痛ぇ」と呻いたかと思ったら大きないびきをかいて寝ているので僕が眠れない。トイレに行った後は手を洗わないし歯を磨いているのを見た事がない。こんな発言小町に出てきそうな迷惑な人から離れたい。そのためにも早く元気になるしかないのだ。