愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

術後完全になめてました

手術の当日、父、母、姉が病院に来た。僕は家族に荷物を預け、手術に呼ばれるまで談話室で待った。手術は8時半を予定していた。姉は談話室で何でもない話をしている時にふいに泣き始めた。別に命に関わるような手術ではないから僕は驚いて「何かのアレルギー?」と聞いてしまった。だけどアレルギーで流れるような涙では無かった。僕は姉のそういう所が好きだなと思った。

 

前日に行われた手術の説明では

1、腫瘍のみを摘出

2、腫瘍摘出のために膀胱を一部切って縫い合わせる

3、腫瘍と前立腺を摘出する

4、腫瘍と前立腺と膀胱を摘出する

という4つの可能性について説明されていた。骨盤裏と、膀胱の脇に腫瘍は2つあり、膀胱脇の腫瘍がなかなか難しい箇所にあるとのことだった。僕は3番と4番は避けたいなと思い、母からもらった2つのお守りと叔母からもらった1つのお守りをお腹に乗せ、腫瘍がすんなり取れるように祈った。

 

貫地谷しほり似の看護師さんに呼ばれ、手術室までのエレベーターに向かった。エレベーター乗り場で家族と別れ、9階の手術室まで降りた。9階にはいくつも手術室があり、その扉はどれもひんやりと冷たい質感だった。部屋に行くまでに手術を控えた人と沢山すれ違った。手術室の前に副担当の先生がいた。先生は昨日はよく眠れたから体調はバッチリですと言った。前日に僕は先生に「今日は早く寝て体調を整えてください」とお願いしていたのだ。手術は成功すると思った。

手術室に入ると背中に麻酔を入れる準備に入った。手術ベッドの上で横向きになり、背中を丸めて膝に頭を付けるような体勢を指示される。そして局所麻酔の後に突き出た背骨のあたりに麻酔の針を入れられた。その後仰向けになり酸素マスクのようなものを口に当てられた。

「眠くなるような感じになると思います」

と言われ、ああ確かに少し天井がボヤけてきたなと思った。

 

「終わりましたよー」

遠くの方で声がして、肩を叩かれて目が覚めた。酸素マスクで一瞬にして眠っていたようだった。目が覚めた時には手術は終わっていた。僕は病室が涼しいとはいえガタガタと震えていた。歯はカチカチと鳴っていた。タオルをかけられ、何かの熱源で体が温められるのを感じた。その時ちょうど家族が入って来たようで、姉の声が聞こえた。

「手術は大成功だってよー」

意識は朦朧としていたけど、姉の声と、その後頭を母に撫でられたのを覚えている。膀胱は残してくれたようだった。(後で聞いたら手術は7時間かかったようだ)僕はホッとして、また眠った。

気づいたらICUのベッドの上で22時になっていた。僕の体には点滴、心電図の電極、尿カテーテル、腹部ドレーン、背中の麻酔、酸素分圧を測る機械、足には血栓予防のためのマッサージ機がつけられていて、ベッドの上にがんじがらめになっていた。モニターには脈拍、血圧、心電図、呼吸、酸素分圧が映し出され、血圧は80/50だった。今まで腫瘍のせいで血圧が高かったのだが、腫瘍を取ると一気に血圧は下がった。血圧を上げるためにエピネフリンが使用されていた。

口の中がカラカラになっていた。看護師さんを呼ぶと太い綿棒のようなもので口のなかを湿らせてくれた。まだ水は飲めないとの事だった。寝ようと思ってもなかなか眠れず。長い夜になりそうだった。

寝返りを打ちたいと看護師さんにお願いすると体の右側にタオルのようなものを敷かれ、体は左に20度くらい傾いた。

「え、僕の知ってる寝返りと全然違う」と思った。うつ伏せになりたいと申し出たらようやく90度くらいの寝返りが打てるのだろうか。

 途中で当直の先生が僕の血圧を見て点滴バッグをギューッと絞り始めた。急速に細胞外液を補給する必要があるとのことだった。

 

長い夜がようやく明けるとうがいの許可が出た。看護師さんがベッドを起こしてくれて歯を磨いて口をゆすいだ。口の中が潤ったのが嬉しかった。

ベッドを起こすとお腹に圧がかかり、傷口が痛んだ。傷はガーゼで覆われていたし怖くて見れなかったけど、焼けるような痛みで傷口の大きさが分かった。

お腹に圧がかかるとすぐに便意を催した。僕の下半身にはいつの間にかオムツが巻かれていてオムツの中で排便した。術後はかなりの軟便になっていて、ユルユルとした便がオムツを押し、不快感を伴いながらオムツは膨らんでいった。僕は看護師さんを呼んでお通じがあったことを伝えると、看護師さんはテキパキと僕のお尻を拭き、オムツを交換した。僕はこのオムツ交換にかなり抵抗があったけれど、水様便が止まらず結局何度も看護師さんにオムツ交換をお願いする事になった。看護師さんは神だなと思った。

午前に早速立ち上がる練習があった。ICUのベッドの背もたれが起こされ、膝から下が下ろされる。ベッドは椅子のような形に変わった。歩行器が用意され、ベッドから歩行器にしがみつくように立ち上がる。するとすぐに立ちくらみがした。モニターに映し出された血圧は60台だった。すぐにベッドに戻され、午後にもう一度練習する事になった。

 昼ごはんは腸の手術ではなかったため常食だった。食欲は全く無く、おかずを一口ずつ食べ、後は残した。

午後に再び立ち上がる練習。早く歩けるようになって自分でトイレに行きたかった。立ち上がる時に腹圧がかかるため、再びオムツが膨らむのを感じた。立ち上がる前にその場で足踏みをし、血圧を上げてから立ち上がる。血圧はやはり下がったものの立ちくらみは無かった。ゆっくりと数メートル歩き、またベッドに戻った。その日の夜はベッドサイドに簡易トイレが置かれた。

ICUのベッドは体重計の代わりにもなっていた。ベッドの上を片付け、横になった僕の体重は65キロだった。術前は60キロだったため、一晩で5キロも増えていた。術後は点滴で水太りするとのことだった。結局僕の体重は点滴で日に日に増え、最大で72キロになっていた。お腹が重くて抱えるようにして歩き、足はパンパンに浮腫んでまさに象の足だった。