性質
兄が小説を書いて賞を獲ったらしい。
以前に僕が入院する時にkindleを貸してくれたのだが、それをテーマにした短編だった。賞を獲ったという知らせを聞き、早速メールで作品を見せてもらった。
内容は僕の事も書かれていたのだが、僕はそれを他人事のように読み(フィクションなので当然ではあるが)仕事帰りの総武線で感動して泣いた。
兄は小学生の頃に小説を書いていた。原稿用紙に書かれたそれは分厚いファイルに綴じられ学習机の下に仕舞われていたと思う。見せてもらった事はあるが、当時小学低学年の僕はチラリと読んだだけだ。
祖父が兄のことを「将来小説家になるかもな」と言っていた記憶がある。僕は祖父が言うならそうかも知れないと思った。それに通っていた小学校で小説を書いている人なんて見たことが無かったからだ。
実家の本棚には宮部みゆきの本がよく置いてあった。おそらく父が好きだったのだろう。他には京極夏彦だったり司馬遼太郎だったり大沢在昌だった。今思えば全く僕の趣味に合わなかった。僕が好きなのは吉本ばななや川上弘美や西加奈子なのだ。兄が宮部みゆきを熱心に読むのを横目に、僕は読書があまり好きじゃないんだなと思った。模倣犯は僕も読んだけど。
兄は集中力がある。小学生で分厚いファイルに綴じる小説を書くほどだ。しかしその反面集中している時は他の話が聞こえなくなる事があった。そして多く話せば余計な事を言い、逆に黙れば言葉が足りないと注意されるタイプだった。
僕は兄のそんな姿を見て育ったために、母や祖父がどんな時に兄に怒るのかに敏感になった。そして母や祖父の顔色を伺い続けているうちに、僕は相手が何を僕にして欲しいのか少しずつ分かるようになってきた。それを考えれば母や祖父の怒りが僕に向けられる事は減る。
実際僕は怒られる事が少なかった。これは年がやや離れた末っ子だったせいもあるだろうが。そして祖父には長男には厳しくという考えもあったであろう。
しかしこうして身に付けた顔色を伺う技は人間関係を円滑にするのに役に立った。後の新しい環境に馴染むのにも役に立った。
ある時家に無言電話がよく掛かってくる事があった。兄は電話に出ると無言電話に向かって陶器の皿にフォークを突き立て、不快な音を電話口に向かって鳴らし始めた。すると電話は切れ、無言電話はその後掛かってこなかった。その結果に兄は満足そうだった。今思えば兄は学校で嫌がらせを受けていたのではないだろうか。その後「出る杭は打たれる」という言葉を知った時、僕は兄の事だと思った。
僕の顔色を伺う技は何度も使ううちに僕の性質になった。そして相手の望みを想像して行動する事は時々自分の意思を消してしまう。自分の人生の主役は自分自身であるはずなのに、あえて脇役を選ぶような選択もしてしまう。
全く体の不調を感じていないにも関わらず再度入院する事になった時は少し弱気になった。良くない想像をして「自分の人生って一体何だったの」と思ってしまったのは恐らく先のそれが理由だろう。
兄が賞を獲ったと聞いた時、自分の事のように嬉しかった。
僕は兄が、兄自身の人生の主役であって欲しいと思う。