愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

Kindle

また入院することになってしまった。

普通に元気なのだが、去年手術で取った腫瘍がポツポツと再発していたのだ。手術で取りにくい箇所にあることと、手術をしてもまた再発する可能性もあるために化学療法を試すことになった。

 

母親にその旨を伝えたら「感謝」だの「足るを知る」などと説教臭い紙と米粒が送られてきた。なんでもありがたい米のようで、ポリポリと噛んでくださいと手紙に書いてあった。母親に家の近くには割と大きい宗教施設があり、そこの米のようだった。

翌日には「今日はお参りに行ってきました。良いお陰様を頂いてきたよ」とLINE。母はもともと「良いお陰様を頂く」なんて回りくどい言い方をする人ではない。

母は悪い意味でのめり込みやすい所がある。東京湾の魚は食べるなだの、東京はコロナが心配だから仕事をやめて岡山に来いだの、白砂糖は体に害になるから食べるなだの、どこで見たのか分からない怪しい情報も鵜呑みにして僕に強要してくるのだ。先日も電磁波が心配だからWi-Fiルーターはベッドの近くに置くなと言われたばかり。イソジン液もおそらく買いに走っただろう。

僕は心配になった。今度は新興宗教にのめりこまないだろうか。そしてそのきっかけが僕の入院ならいたたまれない。

「大丈夫?どうしたの急に。宗教なんて興味無かったじゃない」

「困った時の神頼みって言うじゃない。それに話聞いてきたけどお金とられたりしなかったわよ。良心的」

母は金銭感覚がきちんとしているというか、倹約家というか、吝嗇というか、ケチなので、お金が発生したらブレーキがかかると思われる。なにせコーヒーフレッシュの蓋についたミルクをもったいないと言って保湿剤代わりに手の甲に塗るくらいなのだから。

「本当に良心的でお金取らないんだったらどうしてあんな立派な御堂が建つんだと思う?そういう事だよ」

母の行動は前のめりで、そして何かが過剰。その過剰さにずっと振り回されてきたために、僕や僕の兄弟は母の行動に敏感になる。僕は決してその宗教自体を否定しているわけではない。母がこれまで見向きもしなかったものに急に興味を持ち始めた事が、やがて面倒を起こしそうで不安なのだ。

 

兄が僕の入院中に暇だろうからとKindleを貸してくれる事になった。兄は母経由で僕の入院を知ったようだった。Kindleには漫画を沢山入れてくれていた。

兄はこんな時に出来る事が大人になった現在もKindleを貸す事ぐらいなのかと、何やら感傷的になったようだった。だけど僕は母の過剰さに食傷気味だったので兄のそれくらいの姿勢がちょうど良かった。器用ではない兄は、僕以上に母に振り回されてきたのを知っている。渡されたKindleは軽かった。

 

(入院は鬼滅の刃を読んで過ごし、先日退院しました。変わらず元気です)