愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

今年学んだ事

 

8月に化学療法が始まった。

およそ3週に1度、1回につき4日間の入院だった。

 

定期的な入院が必要になりそうだったので、まず辞めたくて仕方なかったバイトを辞めた。入院時は本業も数日休まないといけないのに加えて週に1回のバイトなんてしている場合ではなかった。体を大事にして本業だけ頑張ろうと思っていたのだが、バイトを辞めた勢いが残っていたのか、それからしばらくして本業も辞めた。本業の最終出勤日は一緒に働いていた人達から沢山の餞別の品を頂いた。

化学療法は2日くらい食欲が落ちて便秘になる程度で大きな副作用は出なかった。

「2週間くらいしたら髪が抜けてくるかも知れません」

と言われていたが、2週間しても髪は抜けなかったのでホッとしていたら3週間目に抜け始めた。仕事中に髪を触ったら手に数本の髪の毛が付き、そしてまた触ると同じくらいの髪の毛が手に付くのだ。何度触っても毎回手に髪の毛が付いてくるのでキリがないように思えた。

仕事から帰り、洗面所で髪をバサバサと手で払うと洗面台にハラハラと髪の毛が落ちた。いよいよ脱毛が始まったのだと思った。奇しくも僕は前日に彼氏と「嫌なのはデブかハゲか」という話をしたばかり。僕はデブが嫌で彼氏はハゲが嫌。そんな話するもんじゃないなと落ちていく髪の毛を見て思った。

 

姉に脱毛が始まった事を話したら「冬には頭が寒かろう」と言って、制作途中で眠っていたニット帽の続きを編み出した。

以前一緒に働いていたおばさんは子宮癌治療の時に使用していたウィッグを貸してあげると言ってくれた。ただそのウィッグは僕の記憶では栗色のボブだったので、ちょっとお洒落過ぎると言って気持ちだけ受け取る事にした。

髪は化学療法の3週間後に10日くらい抜け、その後落ち着くというのを入院の度に繰り返した。僕の場合は徐々に抜ける感じだったので、毛量が減ったとはいえ幸い見た目にはほとんど変わりは無かった。僕はもともと毛量が多かったのでちょうど良かったのかも知れなかった。

ただ髪が抜ける感覚は嫌なものだった。シャンプーの後やドライヤーで髪を乾かした後、自分の髪の毛を集めて捨てるのがなかなかのストレスだった。拾い集めた髪の毛からは使っているシャンプーの匂いが漂い、それを続けていると今度はシャンプーの匂いを嗅ぐと脱毛を連想させるようになった。

 

化学療法は4回でひとまず休みになった。結局8月から10月までに4度入院した。姉はニット帽の続きを編まなくなった。聞けば途中で失敗し、全て解いたとのことだった。

入院はとにかくお金がかかる。1度の入院ですぐに月の自己負担限度額に達した。正直無職には(働いていても)かなり手痛い出費だった。ただ年に3回自己負担限度額を超えていると4回目は自己負担限度額が引き下げられる多額該当という制度があると聞き、10月の入院費用は安くなるだろうと思っていたら通常通り請求された。(僕は5月にも鼠蹊ヘルニアの日帰り手術で自己負担限度額に達している)

おかしいと思って調べたら保険組合が途中で変わった場合は多額該当の月数に通算されないとの事だった。僕はその時初めて仕事を辞めた事を後悔した。仕事を辞めて健康保険の保険者が変わり、多額該当の条件に当てはまらなくなったからだ。

多額該当を狙う時は仕事を辞めたらダメというのが今年の一番の学びである。来年はどんな学びがあるだろうか。(残念ながら11月から働き始めました。週4で)