愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

肯定

友人の結婚式に行った。

 

以前は友人の結婚式に行くと、結婚と縁のない自分が悲しくなったり、出て行くばかりのお祝儀にモヤモヤしたりもしていたけれど、今はもう全くそんな気持ちは無い。普段食べられない料理が楽しみだったり、友人の晴れの日を見られるのが楽しみで、招待してくれた事をすごくありがたく思う。

僕は結婚したいとは思わないけれど、結婚式を挙げてみたいと思うようになった。招待された披露宴で新郎新婦を拍手で迎える時に、スライドで2人の生い立ちを見る時に、親への手紙を読み上げる時に、僕が式を挙げたらどんな式になるだろうと想像する。

立派な扉が開いた向こうに親しい友人や親族がいて、拍手をしながら笑顔で迎えられるのを想像する。それだけで僕は少し、泣いてしまいそうになる。

写真を撮らない僕はスライドで使う写真を集めるのに苦労するだろうし、手紙は気の利いた事を言おうとして失敗するだろう。けれどその日は何か失敗をしても、全て肯定されると思う。その日の主役になり、好きな人たちにお祝いされ、肯定される。

恐らく僕は式の間ヘラヘラしているだろう。スライドを見ても手紙を読み上げても。だけどなんて事のないシーン、例えば友人たちが美味しそうに食事をしているところを主役の席から見て泣いたりすると思う。

もしかして僕が結婚式を挙げてみたいのは、強く自分を肯定されたいからなのかも知れない。

 

友人の写真展に行った。

 

展示の仕方が、写真の見せ方が素敵だった。僕は友人に作品についての丁寧な説明を受けた。迷いのない、整理された言葉での説明だった。

僕は、表現をしている人を尊敬している。だって表現するためには必ず自分と向き合わないといけないから。出来上がったものを見つめる作業は、自分の才能や熱意と向き合う作業だからだ。そんな怖い事、僕には出来ない。

だから僕は表現をしている友人を応援する。すごいよ、本当に。

 

ツイッターの動画で、天海祐希が感極まって泣いてしまったファンに

「私を応援する気持ちと同じくらい自分を応援してください」

と言っているのを見た。

僕はちょっと衝撃を受けた。どうしてそんな簡単な事が今まで出来なかったのだろう、と。僕が友人を応援するのと同様に、自分を応援したらいいのだ。

僕は自分の人生を応援したい。結婚式を挙げなくても自分の日々の行動を、思考を、決定を、自分で肯定してあげたい。