愛しさと切なさとエスプレッソ

パンとマンションが好きな人のブログ

最近のイライラ

せめて月に1回くらいのペースでブログを更新しようと思っている。別に誰かに課されたわけでもないのに。

そろそろ年始に始めたダイエットの進捗でも書こうかと思っているうちに、LGBTは種の保存に背くだとか、道徳的に認められないとする政権与党の発言があった事に怒り、ダイエットの話は書かなくてもいいかなと思った。僕の体の微妙なビフォーアフターについて書いたところで何になるのか。ちなみに食事に気をつけて筋トレをする僕のダイエット、半年経ってほとんど何の成果も出ていません。

 

種の保存に〜みたいな発言ってほんとに腹が立つのだけど、以前にも同じような発言に腹を立てた事があって、僕はいつまで怒り続けないといけないのかと思う。

この10年、20年でLGBTに対する風当たりというか認識ってすごく変わってきたと肌で感じるけれど、こういった発言に触れるたびに、あれ、実は全然変わってなかったのかなと戸惑う。

そうやってイライラとしていたら母から「ワクチンは打たないで下さい」とLINEが届く。母はすっかり陰謀論者になったようで、ワクチンは殺人兵器だの、人口を減らすためのビルゲイツの罠だの、ファイザー製のワクチンは中国共産党が絡んでるから打つなだの、陰謀論が定期購読のように届くのだ。

母からの定期購読が来るとその日1日イライラしてしまう。

1年くらい前から母は「メディアが報じない衝撃の事実!!」みたいな動画のURLを送ってくる事があり、その度になんでこんな動画見てるの?とか、送ってこないで下さいと返信していたけれど、それからもずっと見ていたようで「バイデンの当選は不正選挙」と電話で言っていた時は悲鳴をあげそうになった。

母が送ってきた妙な動画は片っ端から報告した。ある動画は「差別的または攻撃的な内容」として、別の動画は「暴力的または不快なコンテンツ」として。願わくば「混乱を招く」とか「根拠に乏しい情報あるいはデマ」として報告したいが。

コロナが落ち着けばとりあえずワクチン絡みの陰謀論は落ち着くかと期待している。というか僕はコロナよりも陰謀論が憎いよ。母を混乱させたんだから。YouTubeの妙な動画を報告する時、結構黒い気持ちで報告してるからね。

Mr.パーカーJr.

「自分が年を取ったを感じる瞬間は」

そんなテーマで友達と話す事が時々ある。傷が治りにくくなった、寝ても疲れが取れない、肘がガサガサする、お腹の肉が取れないなど、同年代の友達からの強い共感を得られるエピソードは年々増えていく。

最近それに「パーカーが似合わなくなる」が追加された。かわいいと思っていたグレーのパーカーが全然似合わないのである。着ている自分の姿を見ていると「このフードは何のためについているの?」とパーカーがパーカーであるための要素に疑問さえ湧いてくる始末。しかしパーカーがかわいくなくなったのかと思って脱いでみると、パーカー自体はかわいいのである。一体どういう事だろうか。

以前着ていたパーカーはクリーニングに出したらめちゃくちゃに縮んでダメになったので、数年前にサンスペルでちゃんとしたパーカーを買ったのだ。洗濯にも気をつけていたし、サンスペルは何度着ても傷みが少なく、これは長く使えると思っていたが、まさか服よりも着る人の傷みが先に来るなんて。

同じタイミングでカンペールの靴も似合わなくなった。カンペールは履きやすいしかわいいから最高と思い、スペインに行った時にまとめて何足も買った事があったが今はメルカリに出品している。そして今は他に履く靴が無いので靴難民だ。

思えばだいぶ前にフラボアの服を全部捨てた事があった。同時期にボーダーの服も子育てに疲れた人か模範囚のように思えて全て捨てた。それと同じような事が今起こっているのかも知れない。とりあえず今は着れる服が減ってしまったので買い足したい。クローゼットには白シャツに黒パンツといった超無難な服しか残っていないのだ。

 

さよなら全ての

エヴァンゲリオンを見た。ネタバレにならないよう感想は「めちゃ凄かった」だけにする。

 

中学の英語の授業でクラスメイトに好きなものを英語で聞いてみる時間があった。僕はクラスメイトに好きな漫画は何かを聞くと、彼は「エヴァンゲリオン」と答えた。

「え、エバンゲリオン?」

と僕は聞き返した。インパクトのある名前だなと思った。それで初めてエヴァンゲリオンの名前を知った。

その後兄のやっていたスーパーロボット大戦エヴァが出てきた。ATフィールドがかなり強かった記憶がある。僕はオリジナルを知らないままゲーム内でヤシマ作戦を実行した。

 

就職して一人暮らしを始め、家の近くのレンタルショップエヴァのDVDを借りた。実家から持ってきた小さなテレビデオにDVDデッキを繋ぎ、毎晩数話ずつ見ていた時期があった。そして「あ、ここスーパーロボット大戦で出てきたところだ!」と、進研ゼミの漫画のような驚き方をして、ようやくオリジナルのヤシマ作戦を知った。

劇場版が始まった時、当時付き合っていた人と見に行った。次作も一緒に見たいねと思っていたがすぐに別れ、「破」はさいたま新都心で友達と見に行った。翌日「破」の感想を職場の休憩室で同僚と話した事を覚えている。

「Q」に関しては何も覚えていない。内容も、誰と見に行ったのかも。よく分からなかったという事だけ強烈に覚えていて、それ以外は何も覚えていない。

 

それから8年である。もはやほとんど覚えていない状態で見に行ったが、なんかほんと、凄かった。ネタバレにならないよう「ありがとう」とだけ感想を書いている人がいたが、それもよく分かる。

エヴァンゲリオンが好きと言っていた中学のクラスメイトは元気にしているだろうか。小さなテレビデオで毎晩楽しみに見ていた事とか、劇場版は誰と見にいったとか、色々と思い出しながらの最後だった。

肉屋の肉は美味しい

11月から週4で働いている。

月、水、金に9時間、土曜に5時間で週32時間。通勤も自転車で5分ちょっとと近いので最高である。

月に1度の入院が続くようならフルタイムで働くのは厳しいと思い今の働き方を初めてみたが、今のところ丁度良く働けていて助かっている。

「体調が落ち着いてきたら時間を増やして働く事も可能です」などと面接の時に言った気もするが、既に落ち着いた今もフルタイムで働く生活に戻る予定は無い。

先日社長に呼ばれ「社員になる?今のままの待遇じゃ申し訳ないから」と言われ、「そう思うんだったら時給上げてよ」という言葉を飲み込んで丁寧にお断りした。今思えばとりあえず検討するフリをして社員の待遇を聞いておけば良かったのだが。

20代の頃友人と彼氏に求める条件について話していた時に「やっぱりちゃんと働いているのは最低条件だよね」と言った事があるが、今の僕はその最低条件を満たしているのか怪しい。かつての自分の言葉に沿ってちゃんと働く日がまた来るかも知れないけれど、今はこの生活をもう少し続けていくつもりだ。人間関係と同様に、仕事にも丁度良い距離感があると思っていて、今が仕事との丁度良い距離感なんじゃないかと思う。

仕事を減らした分給料が下がったので節約のために毎日3食自炊している。業務スーパーで安い食材を買い、肉は肉屋で買うようになった。(肉屋の肉は美味しい)

せっせと常備菜を作っていたら自分の事が一人暮らしの主婦みたいに思えてきた。一人暮らしの主婦なんて矛盾しているのだが。あとは犬を飼いたいな。

今年学んだ事

 

8月に化学療法が始まった。

およそ3週に1度、1回につき4日間の入院だった。

 

定期的な入院が必要になりそうだったので、まず辞めたくて仕方なかったバイトを辞めた。入院時は本業も数日休まないといけないのに加えて週に1回のバイトなんてしている場合ではなかった。体を大事にして本業だけ頑張ろうと思っていたのだが、バイトを辞めた勢いが残っていたのか、それからしばらくして本業も辞めた。本業の最終出勤日は一緒に働いていた人達から沢山の餞別の品を頂いた。

化学療法は2日くらい食欲が落ちて便秘になる程度で大きな副作用は出なかった。

「2週間くらいしたら髪が抜けてくるかも知れません」

と言われていたが、2週間しても髪は抜けなかったのでホッとしていたら3週間目に抜け始めた。仕事中に髪を触ったら手に数本の髪の毛が付き、そしてまた触ると同じくらいの髪の毛が手に付くのだ。何度触っても毎回手に髪の毛が付いてくるのでキリがないように思えた。

仕事から帰り、洗面所で髪をバサバサと手で払うと洗面台にハラハラと髪の毛が落ちた。いよいよ脱毛が始まったのだと思った。奇しくも僕は前日に彼氏と「嫌なのはデブかハゲか」という話をしたばかり。僕はデブが嫌で彼氏はハゲが嫌。そんな話するもんじゃないなと落ちていく髪の毛を見て思った。

 

姉に脱毛が始まった事を話したら「冬には頭が寒かろう」と言って、制作途中で眠っていたニット帽の続きを編み出した。

以前一緒に働いていたおばさんは子宮癌治療の時に使用していたウィッグを貸してあげると言ってくれた。ただそのウィッグは僕の記憶では栗色のボブだったので、ちょっとお洒落過ぎると言って気持ちだけ受け取る事にした。

髪は化学療法の3週間後に10日くらい抜け、その後落ち着くというのを入院の度に繰り返した。僕の場合は徐々に抜ける感じだったので、毛量が減ったとはいえ幸い見た目にはほとんど変わりは無かった。僕はもともと毛量が多かったのでちょうど良かったのかも知れなかった。

ただ髪が抜ける感覚は嫌なものだった。シャンプーの後やドライヤーで髪を乾かした後、自分の髪の毛を集めて捨てるのがなかなかのストレスだった。拾い集めた髪の毛からは使っているシャンプーの匂いが漂い、それを続けていると今度はシャンプーの匂いを嗅ぐと脱毛を連想させるようになった。

 

化学療法は4回でひとまず休みになった。結局8月から10月までに4度入院した。姉はニット帽の続きを編まなくなった。聞けば途中で失敗し、全て解いたとのことだった。

入院はとにかくお金がかかる。1度の入院ですぐに月の自己負担限度額に達した。正直無職には(働いていても)かなり手痛い出費だった。ただ年に3回自己負担限度額を超えていると4回目は自己負担限度額が引き下げられる多額該当という制度があると聞き、10月の入院費用は安くなるだろうと思っていたら通常通り請求された。(僕は5月にも鼠蹊ヘルニアの日帰り手術で自己負担限度額に達している)

おかしいと思って調べたら保険組合が途中で変わった場合は多額該当の月数に通算されないとの事だった。僕はその時初めて仕事を辞めた事を後悔した。仕事を辞めて健康保険の保険者が変わり、多額該当の条件に当てはまらなくなったからだ。

多額該当を狙う時は仕事を辞めたらダメというのが今年の一番の学びである。来年はどんな学びがあるだろうか。(残念ながら11月から働き始めました。週4で)

性質

兄が小説を書いて賞を獲ったらしい。

 

以前に僕が入院する時にkindleを貸してくれたのだが、それをテーマにした短編だった。賞を獲ったという知らせを聞き、早速メールで作品を見せてもらった。

内容は僕の事も書かれていたのだが、僕はそれを他人事のように読み(フィクションなので当然ではあるが)仕事帰りの総武線で感動して泣いた。

兄は小学生の頃に小説を書いていた。原稿用紙に書かれたそれは分厚いファイルに綴じられ学習机の下に仕舞われていたと思う。見せてもらった事はあるが、当時小学低学年の僕はチラリと読んだだけだ。

祖父が兄のことを「将来小説家になるかもな」と言っていた記憶がある。僕は祖父が言うならそうかも知れないと思った。それに通っていた小学校で小説を書いている人なんて見たことが無かったからだ。

 

実家の本棚には宮部みゆきの本がよく置いてあった。おそらく父が好きだったのだろう。他には京極夏彦だったり司馬遼太郎だったり大沢在昌だった。今思えば全く僕の趣味に合わなかった。僕が好きなのは吉本ばなな川上弘美西加奈子なのだ。兄が宮部みゆきを熱心に読むのを横目に、僕は読書があまり好きじゃないんだなと思った。模倣犯は僕も読んだけど。

 

兄は集中力がある。小学生で分厚いファイルに綴じる小説を書くほどだ。しかしその反面集中している時は他の話が聞こえなくなる事があった。そして多く話せば余計な事を言い、逆に黙れば言葉が足りないと注意されるタイプだった。

僕は兄のそんな姿を見て育ったために、母や祖父がどんな時に兄に怒るのかに敏感になった。そして母や祖父の顔色を伺い続けているうちに、僕は相手が何を僕にして欲しいのか少しずつ分かるようになってきた。それを考えれば母や祖父の怒りが僕に向けられる事は減る。

実際僕は怒られる事が少なかった。これは年がやや離れた末っ子だったせいもあるだろうが。そして祖父には長男には厳しくという考えもあったであろう。

しかしこうして身に付けた顔色を伺う技は人間関係を円滑にするのに役に立った。後の新しい環境に馴染むのにも役に立った。

 

ある時家に無言電話がよく掛かってくる事があった。兄は電話に出ると無言電話に向かって陶器の皿にフォークを突き立て、不快な音を電話口に向かって鳴らし始めた。すると電話は切れ、無言電話はその後掛かってこなかった。その結果に兄は満足そうだった。今思えば兄は学校で嫌がらせを受けていたのではないだろうか。その後「出る杭は打たれる」という言葉を知った時、僕は兄の事だと思った。

 

僕の顔色を伺う技は何度も使ううちに僕の性質になった。そして相手の望みを想像して行動する事は時々自分の意思を消してしまう。自分の人生の主役は自分自身であるはずなのに、あえて脇役を選ぶような選択もしてしまう。

全く体の不調を感じていないにも関わらず再度入院する事になった時は少し弱気になった。良くない想像をして「自分の人生って一体何だったの」と思ってしまったのは恐らく先のそれが理由だろう。

 

兄が賞を獲ったと聞いた時、自分の事のように嬉しかった。

僕は兄が、兄自身の人生の主役であって欲しいと思う。

Kindle

また入院することになってしまった。

普通に元気なのだが、去年手術で取った腫瘍がポツポツと再発していたのだ。手術で取りにくい箇所にあることと、手術をしてもまた再発する可能性もあるために化学療法を試すことになった。

 

母親にその旨を伝えたら「感謝」だの「足るを知る」などと説教臭い紙と米粒が送られてきた。なんでもありがたい米のようで、ポリポリと噛んでくださいと手紙に書いてあった。母親に家の近くには割と大きい宗教施設があり、そこの米のようだった。

翌日には「今日はお参りに行ってきました。良いお陰様を頂いてきたよ」とLINE。母はもともと「良いお陰様を頂く」なんて回りくどい言い方をする人ではない。

母は悪い意味でのめり込みやすい所がある。東京湾の魚は食べるなだの、東京はコロナが心配だから仕事をやめて岡山に来いだの、白砂糖は体に害になるから食べるなだの、どこで見たのか分からない怪しい情報も鵜呑みにして僕に強要してくるのだ。先日も電磁波が心配だからWi-Fiルーターはベッドの近くに置くなと言われたばかり。イソジン液もおそらく買いに走っただろう。

僕は心配になった。今度は新興宗教にのめりこまないだろうか。そしてそのきっかけが僕の入院ならいたたまれない。

「大丈夫?どうしたの急に。宗教なんて興味無かったじゃない」

「困った時の神頼みって言うじゃない。それに話聞いてきたけどお金とられたりしなかったわよ。良心的」

母は金銭感覚がきちんとしているというか、倹約家というか、吝嗇というか、ケチなので、お金が発生したらブレーキがかかると思われる。なにせコーヒーフレッシュの蓋についたミルクをもったいないと言って保湿剤代わりに手の甲に塗るくらいなのだから。

「本当に良心的でお金取らないんだったらどうしてあんな立派な御堂が建つんだと思う?そういう事だよ」

母の行動は前のめりで、そして何かが過剰。その過剰さにずっと振り回されてきたために、僕や僕の兄弟は母の行動に敏感になる。僕は決してその宗教自体を否定しているわけではない。母がこれまで見向きもしなかったものに急に興味を持ち始めた事が、やがて面倒を起こしそうで不安なのだ。

 

兄が僕の入院中に暇だろうからとKindleを貸してくれる事になった。兄は母経由で僕の入院を知ったようだった。Kindleには漫画を沢山入れてくれていた。

兄はこんな時に出来る事が大人になった現在もKindleを貸す事ぐらいなのかと、何やら感傷的になったようだった。だけど僕は母の過剰さに食傷気味だったので兄のそれくらいの姿勢がちょうど良かった。器用ではない兄は、僕以上に母に振り回されてきたのを知っている。渡されたKindleは軽かった。

 

(入院は鬼滅の刃を読んで過ごし、先日退院しました。変わらず元気です)